【コラム】長崎皿うどんの歴史的考察(7/7)

2019年1月4日

第六章の続きです。これが最終章です。目次として、タグ「長崎皿うどんの歴史的考察」をご利用ください。


第七章 「長崎皿うどん」のいま、そしてこれから

さて、この章では皿うどんについて調べる中で感じたこと、知ったことをつらつらと書いておきたい。

私なりの結論について

アメリカで生まれた揚げ麺餡掛けの「Chow Mein」が明治時代の長崎に伝来。チャンポンのスープや具を「Chow Mein」の餡に流用し、細く軽やかな揚げ麺を模索して長崎ならではの「炒麺」が生まれた。一部の店がそれを太麺と同様に「皿うどん」と呼びはじめ、昭和30年代に一般化。昭和40年代にそれが「皿うどん」の主流になった。長崎皿うどんの発祥について、これが私なりの結論だ。

ただこの結論はあくまでも資料やフィールドワークから推論を重ねた結果で、これが事実というわけではない。「もっと前から細麺だった」とか「うちはソースを掛けない」などの声も聞こえてくるし、そのうち全てをひっくり返すような資料が見つかるかも知れない。私としてはそれも大歓迎。皿うどんや焼きそばの歴史研究はまだまだ未開拓なのだ。無責任に聞こえるかも知れないが、まずは興味を持つ人が増えてくれれば結果オーライである。

皿うどんの歴史は四海楼の歴史

いまさらになるがチャンポン・皿うどんについて四海楼の果たした役割は絶大だ。四海楼発祥説に立たずとも、チャンポン・皿うどんの歴史は、そのまま四海楼の歴史でもある。第一章の題を「皿うどん起源神話に物申す」としたが、私が「物申す」範囲は限定的だ。出した結論も「炒麺」起源への異議に過ぎない。

四海楼

第一章で述べたように四海楼はパリパリ細麺の皿うどんを決して「皿うどん」と呼ばない。それは驚嘆すべきことだ。長崎で細麺の「皿うどん」がどんなに当たり前になっても、かたくなに「皿うどんは太麺」「細麺は炒麺」という姿勢を崩さない。その姿勢からは「創業者から連綿と伝えられた味をそのまま守る」という信条がひしひしと伝わってくる。

2011年 四海楼

もし四海楼が時代に迎合して「炒麺(チャーメン)」ではなく「皿うどん」という料理名で細麺を供していたら、私は特に疑問も抱かず、そういうものかと受け流していたことだろう。またチャンポンの歴史をまとめたミュージアムや四代目が著した『ちゃんぽんと長崎華僑』がなければ、様々な考察も頓挫していた。なにより2011年に四海楼で初めて体験した太麺皿うどんの美味しさと驚きが、この文章を書く原動力だった。

「炒麺(チャーメン)」という呼び名はいまだ健在

現在、長崎でパリパリ細麺の皿うどんを「炒麺(チャーメン)」と呼ぶ中華料理店は、おそらく四海楼だけだ。では「炒麺(チャーメン)」という呼称は長崎から無くなったのか? それが実は残っている。長崎では「皿うどん」に使う細い揚げ麺のことを、料理ではなく食材として今でも「チャーメン」と呼んでいるのだ。

代表的な例だと、小川食品が販売していた「長崎ちゃーめん」という商品がある。昭和57年『長崎の味づくし』(1982)に「販売から20年」と語られているので、販売開始は昭和37年ごろ。第四章で「みろくやの皿うどんに先行する競合商品」と触れたのはこれだ。

長崎特産・小川の長崎ちゃーめん

“長崎特産・小川の長崎ちゃーめん
『長崎ちゃーめん』(皿うどん)を生産販売してから20年の創業歴を持つ『小川食品(株)』”

小川食品は平成13年(2001年)に吸収合併にされてすでに無いが、「みろくや」と同様に長崎県内でテレビCMを放映し、人気も高かったようだ。

現在、同様の商品「チャーメン」は多数ある。長崎市内のスーパーを覗いてみると、どの店にも皿うどん用の麺が複数販売されていて、「チャーメン」という呼称が一般名詞として使われている。

白雪食品 長崎チャーメン

五島製麺 チャーメン

余所者の感覚で最初はインスタント麺のコーナーを探したが、長崎では皿うどん用揚げ麺はチルド麺の冷蔵棚に置かれていることが多い。その点も実に興味深い。

荒木商会 チャーメン

福建 中華炒麺

「チャーメン」という商品名は白雪食品五島製麺荒木商会福建など地元メーカーばかり。中には「生チャーメン」という自己矛盾していそうな商品や、「割れせんべい」のような「ちょっとくずれたチャーメン」もあった。

五島製麺 生チャーメン

白雪食品 ちょっとくずれたチャーメン

そういえば「皿うどん」の文献にも、食材の細麺を「チャーメン(チャン麺)」と呼ぶ例が複数あった。

1968_長崎の家庭料理

“チャーめんを熱した油で色よく揚げ大鉢に盛っておきます。
昭和43年『井手勝治のお料理読本 長崎の家庭料理』(1968)”

1980_伝えてゆきたい家庭の郷土料理 第2集

“チャン麺を油で揚げ、炒めたいろいろの具を、水ときのかたくり粉でとろりとさせてかけます。
昭和55年『伝えてゆきたい家庭の郷土料理 第2集』(1980)”

1994_長崎町人誌_第4巻09

“別に「皿うどん」(細麺)パリパリのチャーメンは五万六千七百八十四食。
平成6年『長崎町人誌 第4巻 さまざまのくらし編(食の章2)』(1994)”

パリパリ細麺の「炒麺(チャーメン)」は長崎から消えていなかった。このように生活に欠かせない食材の一般名詞として、市民の間にすっかり溶け込んでいるのだ。

観光客では味わえない出前の味

第五章で書いたことを否定するようだが、現代の長崎皿うどんとカタ焼きそばはやはり別物だ。具やスープ・麺などの違いもあるが、私が感じた長崎皿うどんの最大のオリジナリティは「大人数で食べる大皿料理」という点にある。

長崎出身の人に皿うどんの話題を振ると、十中八九「親戚で集まったときに出前で注文していた」という思い出話が出てくる。ドリンク剤の瓶に入ったウスターソースと、大きなお皿。長崎では、それが皿うどんの原風景らしい。

第二章で紹介した『あまカラ(171)』の「ムツゴロとチャンポンの味」で、青地晨が大正末期に食べた皿うどんは「二人か三人かでたべないと、たべきれぬほどの分量」だった。

“高校、中学時代の一番の御馳走は長崎チャンポンと皿うどんだった。チャンポンは一皿二十銭、皿うどんは五十銭だったと思うが、皿うどんは二人か三人かでたべないと、たべきれぬほどの分量だった。”

『長崎弁で綴る絵のない漫画』(渡部正之, 1998)の昭和8年「チャンポンを五銭で食べた話」では、「電話で十銭チャンポンを五杯注文」したのに対して、後日同様に運ばれてきたのは「皿うどんを一皿」だった。「五杯」に対して「一皿」だ。

“まず、電話で十銭チャンポンを五杯注文する。「稲田町の◯◯番◯◯へ配達して下さい」間もなくチャンポン屋が出前を重そうに両手を下げて上がってゆく。
(中略、でたらめの住所で届けられなかった店員に対し)
「半額でよかったら置いてゆかんね。食べてやるケン」
「ヨカアルカ。タスカルアルネ、アリガト」
結局、二十五銭で五人が腹いっぱい。
それからひと月ほどして、また、そろそろやろうかと思っていたら、夕方、向こうから皿うどんを一皿持ってきた。
「配達ワカランアル、イクラデモヨカ、買ウアルカ」
「ヨカヨカ。置きなさい買うケン」
その後、気の毒でダマせなかった。”

『長崎料理史』(和田常子, 1958)の同時代と考えられるエピソードでも、「一卓を四五人で陣取り、一皿五十銭の皿うどんを注文」「一皿を五六人で食べるものですから、一杯十銭のちゃんぽんを食べるのと経済的な負担はおなじ」と書かれていた。大正末期や昭和初期のころから皿うどんは1皿を複数人で食べるスタイルだったのだ。

“「ちゃんぽん」といつも併称されるのが「皿うどん」です。これは「ちゃんぽん」に比べて少し値段も張り、それだけにやや高級とされていました。(中略)履物をぬいで座についた客は一卓を四五人で陣取り、一皿五十銭の皿うどんを注文します。これは三十銭くらいのものもありましたが、たいてい五十銭から七十銭くらいまでで、高価な方には前に述べた「えびがねもち」のような揚団子が五つか六つ、人数分だけ具の上に乗せてありました。(中略)一皿を五六人で食べるものですから、一杯十銭のちゃんぽんを食べるのと経済的な負担はおなじわけです。そしてそれは「ちゃんぽん」よりも脂肪が多いので腹持もよく、うどん、そばよりも若人によろこばれたのは当然でしょう。”

もちろん長崎の人も普段飲食店へ行けば、各自が一人前の皿うどんを食べる。観光客もそれと同じ味を味わえる。しかし大人数向けの皿うどんは、地元に住む人ならではの特権だ。

例えば「半々」。皿うどんの出前を注文する際、細麺か太麺かで迷うことがあるが、店によっては大人数の注文の際に細麺と太麺を半分ずつ盛り付けた「半々」という指定もできるらしい。一人前ではできないオプションだ。姫路あたりでは焼きそばと焼きうどんを混ぜたのを「チャンポン」と呼ぶが、「皿うどんのチャンポン」がどんな味わいなのか、一度体験してみたい。

そして私が憧れているのが「二日目の皿うどん」だ。長崎の人は出前してあまった皿うどんを、その翌日にフライパンで温め直して食べるという。具がデロっとなった餡と水分がすっかり滲みて柔らかくなった麺に、ウスターソースを加えて混ぜ炒める、それが何とも美味しいそうだ。なんなら二日目に食べるためにわざと残す人までいるという。

長崎では老舗の皿うどんをあちこち食べたが、観光客では決して味わうことのできない大人数分の出前の味。それこそが地元ならではの醍醐味だろう。

愛され続ける長崎皿うどん

長崎県民の皿うどん愛は留まるところをしらない。土産物屋で見つけたのが「長崎皿うどんふりかけ」。最初はちょっと意味がわからず、つい二度見してしまった。

長崎皿うどんふりかけ

冗談のつもりで買ってみたが、これが冗談抜きでウマい。大村市の長崎海産というメーカー製で、小エビなど海産物の風味とパリパリ細麺の食感がご飯にあう。貰った人もウマいウマいと喜んでくれた。

長崎皿うどんふりかけ2

第四章で取り上げた「みろくや」は「皿うどんチョコレート」いう商品を販売している。クランチチョコレートのクランチをパリパリ細麺に変えたものだ。

みろくや 皿うどんチョコレート

これもお土産に購入して食べたが、ちゃんと美味しい。ふりかけもチョコレートも受けを狙っただけの土産物に見えるが、手を全く抜かないあたりに皿うどんへの愛を感じた。

みろくや 皿うどんチョコレート

今後も長崎ではチャンポンに負けず劣らず皿うどんが愛され続けることだろう。この拙稿で詳らかにした皿うどんの歴史が、新たな定説となって人々の口の端にのぼる日は来るだろうか。

長崎よかとこばい

「なあなあ、パリパリの皿うどんがアメリカから来たって話、知っとーと?」

長崎の人が皿うどんを食べるとき、そんな風に話題にしてくれたら嬉しいな。

(了)

※参考資料一覧を、そのうち追加するかも知れません

【改訂履歴】

2018/12/08 第二章に『味雑事談』(奈良本辰也)、『味覚道楽』(子母沢寛)、『僕の東京地図』(サトーハチロー)の資料を追加しました。それに伴い、第二章後半と第三章前半の論考を一部修正しました。

2018/12/09 第二章に『あまから(171)』『東京味どころ 続』、第三章に『あまから(74)』の資料を追加しました。『あまから(74)』の記述を元に第三章の時代考察・構成を大きく変更し、第四章にも反映しました。具体的には「40年代に太麺から細麺へ移行」という箇所を「30年代には細麺が一般化していた」と変更しました。

2019/1/4 新宿チャンポンのレシピや『亡びぬものを』ほか、第二章・第三章に資料を数点追加しました。それに伴い、第二章・第三章のタイトルと構成を大幅に変更し、第三章の昭和50年代に関する節を第四章へ移動しました。考察については「戦前にも細麺が存在した」という点が加えられました。また第六章に『Chinese Cookery in the Home Kitchen』の資料を追加しました。