太平館飡廳(油麻地)

香港編もいよいよ今回でラストです。最近、『地球の歩き方 香港・マカオ・深セン』の最新版が出版されたようですし、もしブログを読んで好奇心を刺激された方は、ぜひ香港へ行ってみてくださいませ。


香港最後の夜は、太平館餐廳というレストランを訪問した。1860年に広州で創業した超老舗の西洋料理店だ。和暦だと万延元年。桜田門外の変があった年に当たる。

太平館飡廳 油麻地店

太平館餐廳は香港に何店舗かあり、今回訪れたのは油麻地の店だ。ただし地下鉄だと油麻地(Yau Ma Tei)駅よりも佐敦(Jordan)駅の方が近い。私が泊まっていたホテルからは徒歩圏内だった。

太平館飡廳 油麻地店 店内の様子

訪問したのは平日の18時ちょっと前。上品な雰囲気の落ち着いたフロアにはテーブルが整然と並んでいる。先客はなし。

西洋料理店です

一人と告げると、手近な席へと案内された。卓上にはナイフとフォークがセッティングされていた。なるほど西洋料理のレストランだな。

太平館飡廳 メニューの一部

渡されたメニューを眺めて、太平館干炒牛河(ゴンチャーニョウホー/133HKD)と喜力啤酒(ハイネケン/45HKD)を注文した。この店のシグネチャーディッシュは瑞士雞翼(スイス・チキン)という品だが、今回は一人なので量的に諦めた。

喜力啤酒(ハイネケン) 45HKD

喜力啤酒がすぐに運ばれ、タンブラーに注いでくれた。今回の香港旅をいろいろ振り返りながらグビッといただく。やがて干炒牛河も運ばれてきた。

太平館干炒牛河 133HKD

干炒牛河は当ブログでも何度か取り上げたことがある。きしめんを思わせる幅広のライスヌードル=河粉(ホーフェン)を使った焼きそば的な広東料理だ。西洋料理店なのでフォークで食べるのかなーと思った矢先、ギリギリのタイミングでお箸を渡された。ですよねー。

きしめんに似た河粉はモチモチ食感

屋号を冠する太平館干炒牛河は、この店を代表するメニューの一つだ。牛肉と芥藍菜を河粉と炒め、ブレンドしたソイソースで味付けされている。トッピングの錦糸卵の色鮮やかさが印象的だ。食べてみるとモチモチの河粉に牛肉の旨味とソイソースの味付けがよーく滲みている。かなり油っこい。

牛肉はとても柔らか

芥藍菜はシャキシャキ・ホクホク。油通しされた牛肉は、とても柔らかく仕上がっている。飲茶・私房菜での記事で書いたが、牛肉はここまで柔らかくする方が香港では好まれるのかも知れない。付け合せの辛味ダレを混ぜると良い塩加減になって、めっちゃウメーン!

ところで香港で購入した『香港飲食遊踨』という書籍に、干炒牛河の発祥エピソードが紹介されていた。ざっと紹介しておこう。

『香港飲食遊踨』

1938年、日本軍に占領された広州で、湖南出身の許彬という料理人が粥粉麵の屋台を出した。ある日、ガラの悪い客が来て河粉を炒めた「炒牛河」を注文した。伝統的な広東料理の「炒牛河」は「湿炒」=あんかけスタイルが標準だったが、日本軍の占領で物資が自由にならず、とろみを付けるための片栗粉がないため断った。

しかしその客は日本軍に通じている漢奸で、ピストルをちらつかせてどうしても食べさせろと脅した。許彬はやむなく河粉とモヤシを炒め、牛肉を加えて「乾炒(干炒)」=混ぜ炒めスタイルの「炒牛河」を出した。客は大いに満足し、友人にも宣伝して評判になった。戦後、評判を聞いた広州の洞天酒家が「乾炒牛河」をメニューに加え、近隣の名物料理となった。その後、香港へも伝わって、多くの料理店で提供されるようになった。

香港飲食遊蹤 / 黃家樑・會漢棠・區志堅・黃朗懐 著『香港飲食遊踨』(2023, 三聯書店, p138-141)

1938年というと昭和13年。意外と新しい料理のようだ。しかも発祥に日本軍が関わっていたとは思わなかった。新潟県新発田市にあるシンガポール食堂のオッチャホイは「干炒河」(ゴンチャーホー)に由来すると私は思っているのだが、仮に昭和13年に広州で発祥したとなると、伝播の時系列に無理が生じそうだな。この説がどこまで本当なのかはわからないが、なかなか興味深い話ではある。炒粿條との関連性も気になる。

最後まで美味しくいただいてお会計。その後、廟街夜市(テンプル・ナイトマーケット)をウロウロして、焼売を買い食い。香港最後の夜を楽しんだ。

香港にはまだまだ行きたいお店、食べたい料理が残っている。が、それは次回のお楽しみだ。

店舗情報住所: 九龍油麻地茂林街19-21号
営業時間: 11:30〜24:00
定休日: なし
ホームページ
主なメニュー太平館干炒牛河 133HKD
瑞士雞翼 190HKD