【コラム】長崎皿うどんの歴史的考察(4/7)

2019年1月4日

第三章の続きです。目次として、タグ「長崎皿うどんの歴史的考察」をご利用ください。


第四章 パリパリ細麺が長崎皿うどんになった理由(わけ)

細麺一色に染まった昭和50年代

昭和50年代に入ると、パリパリに揚げた細麺が完全に長崎皿うどんのスタンダードになった。太麺はあくまでも例外的なオプションであり、脇役だ。

昭和52年『味のふるさと2 長崎の味』(1977)の巻頭に掲載されている「皿うどん」のカラー写真は、揚げたパリパリ細麺の「皿うどん」だ。本文でも揚げ麺が「皿うどん」の主流という位置づけだ。

1977_味のふるさと 2 長崎の味 表紙

1977_味のふるさと 2 長崎の味2

“皿うどんも、具を同様にいため煮にするが、だしをチャンポンの半量ほどに減らし、調味には砂糖も入れて甘めに味をつけ、最後に水溶きした片栗粉でとろみをつける。これをラードで揚げためん(いためてもよい)にかける。”

昭和54年『婦人倶楽部2月号』(1979)。「ごちそう皿うどんとちゃんぽん」という企画ページでは細麺皿うどんの写真が使われている。

1979_婦人倶楽部2月号1

レシピを紹介するのは宮内庁御用達の陶芸家、第十四代・辻常陸大掾。本名、辻常喜。記事では「辻栄(さかえ)」となっている。辻家自体は佐賀の有田焼の名家だが、記事によれば辻常喜氏の生家は新地にほど近い長崎市籠町で、生粋の長崎人なのだそうだ。

1979_婦人倶楽部2月号2

麺について、「皿うどんには太麺と細麺がある」「私は揚げ焼きそば用の細い乾めんを使う」ことを述べている。麺に下味をつける点が独特だ。

1979_婦人倶楽部2月号3

揚げそば用の中華めん、または蒸し中華そばを1人1玉用意します。揚げそばようの乾めんの場合はサッとゆで、1玉につき塩小さじ1/3、しょうゆ小さじ1をまぶします。蒸し麺はそのまま同様の下味をつけます。
皿うどんには太いめんを使ったものと細いめんとがあり、どちらのめんも長崎では「皿うどん用」として売られています。長崎以外でもデパートなどでは売っているようですが、私はもっぱら揚げ焼きそば用として売られている細い乾めんを使っています。柔らかいめんがお好みならば、蒸し中華めんがいいですね。下味をつけるのは、麺を焼いたときにこうばしい焦げめがつくからでここがコツですね。

麺は揚げるというよりは、サラダ油で焦げ目がつくまで両面を焼くように紹介している。太麺の場合はラードで炒めるよう書いてある。揚げてはいないが、あくまでも標準は細麺だ。

1979_婦人倶楽部2月号4

次にめんを焼きます。なべにサラダ油を熱して下味をつけためんをいためます。太いめんを使う場合はラードでいためてコクをつけます。全体にいためたら平均にならして火を弱め、ふたをして焦げめをつけます。「しょうゆの下味がついていますから、こうばしいんです。店ではいためてからなべに調味料をふっているようですが、家庭ではあらかじめ下味をつけたほうがやさしいですね」と辻さん。片面が焦げたら、なべぶたの上に返し、残りの面も焼きます。

昭和55年『伝えてゆきたい家庭の郷土料理 第2集』(1980)。「チャーめん」ではなく「チャン麺」と呼んでいる。写真は細麺で、こちらも揚げている。

1980_伝えてゆきたい家庭の郷土料理 第2集

“チャン麺を油で揚げ、炒めたいろいろの具を、水ときのかたくり粉でとろりとさせてかけます。”

同じ昭和55年に発行された『長崎の味百店』(1980)。巻頭写真の「長崎のチャンポン・皿うどん」は細麺の皿うどんだ。

1980_長崎の味百店

昭和57年『長崎の味づくし』(1982)も「皿うどんは、蒸籠で蒸したソーメンのような細い唐アク麺を油でいため、」とある。揚げてはいないが、細麺のみ紹介。

1982_長崎の味づくし

昭和57年『よみがえる長崎の味 長崎の郷土料理』(1982)では細麺と太麺、両方の皿うどんレシピが併記されている。ただしメインはあくまでも細麺である。

1982_長崎の郷土料理

“皿うどん
■作り方
(1) めんは皿うどん用の細い蒸し中華めんを使うが、ちゃんぽんめんを使ってもよい。具はちゃんぽんと同じ。
(2) めんの調理法は好みによる。
A.蒸し中華めんをざるにのせ、熱湯をたっぷりかけ、ふっくらしてくるので、ほぐしてからたっぷりのラードまたは油で焼目をつける。この時あまりかき混ぜないこと。この方法はめんが軟らかめである。
B.ラードまたは油をAより多く熱し、蒸し中華めんを揚げる。これはパリパリしている。
C.ちゃんぽんめんを炒めて使う”

太麺派だった『長崎への招待』の著者・嘉村国男は、昭和42年の第3版の次、昭和51年の第4版以降は「皿うどん」に言及しなくなる。平成2年『ながさきことはじめ』(1990)の「チャンポン」の解説で久しぶりに「皿うどん」に言及するが、「皿うどんも同じ」という一文のみ。すっかり細麺が主流になったためか、以前の熱量が嘘のようなそっけなさだ。

1990_ながさきことはじめ

“ちゃんぽんそのものはレッキとした長崎生まれ、もともと福建省あたりの麺類とスープが基本になっている中華軽食。(中略)長崎での発生時期は不詳だが四海楼ほか数店では明治中期過ぎ頃から作っていたようだ。ちゃんぽんには長崎独特の異国情緒というコンセプトが”ちゃん”といっ”ぽん”通っている。これこそ長崎味覚文化の粋というべし。皿うどんも同じ。”

昭和51年に浩宮殿下が四海楼で皿うどんを召し上がった。そう聞いた当時の人の多くは四海楼の太麺皿うどんではなく、すでに主流になっていたパリパリ細麺を思い浮かべたのかも知れない。そう考えると寂しい気がする。

昭和50年代以降は太麺は珍しいタイプとして扱われるようになる。「◯◯の皿うどんは、なんと太麺なんです」「地元には太麺を好む人もいます」といった具合に。

皿うどんの時系列まとめ

ここでいったん、時系列を整理しよう。

  • 早くとも明治35~36年にチャンポン誕生
  • 明治38年に「チャンポン」「支那うどん」の新聞記事
  • 遅くとも大正5年には太麺の「皿うどん」が存在(「炒麺」の発祥時期は不明)
  • 昭和初期には「皿うどん」が長崎に普及
  • 昭和10年には東京でも「皿うどん」を提供する店が現れた
  • 当初は太麺が主流で「皿うどん」は文字通り「うどん」として語られていた
  • ただし一部では細麺を使う皿うどんも戦前から存在していた
  • 戦後、細麺の「皿うどん」が長崎で一般化し始める
  • 昭和30年代は太麺細麺が混在
  • 昭和40年代に細麺が「皿うどん」の主流になる
  • 昭和50年代には完全に「皿うどん」イコール細麺になる
  • ただし長崎以外の老舗は今でも太麺皿うどんのまま

「皿うどん」イコール細麺になったのは、戦前どころか戦後だいぶ経ってからという事実は、多くの人にとって意外ではないだろうか? 時間経過と共に資料を追ってみると、太麺と細麺のバランスが劇的に変化したのは昭和40年代である。なぜその時期にパリパリ細麺が長崎皿うどんの主流になったのか。なぜ長崎以外の老舗は太麺皿うどんのままなのか。料理名や内容が変化した他の麺料理を参考に、考えられうる仮説を幾つか立てて検証してみよう。

仮説その1、大規模チェーン

例えば「つけめん」。元祖とされる東池袋大勝軒や丸長のれん会では、「つけめん」ではなく「もりそば」や「つけそば」という名前で提供されていた。写真は東京都中野区「丸長 新井薬師店」のメニューだが、ここでも「つけそば」という品名だ。

丸長 新井薬師店 メニュー

それを「つけめん」と名づけたのは後発のチェーン店「つけ麺大王」だ。メシ通で刈部山本さんが執筆した記事『つけ麺ブームの立役者「つけ麺大王」総本店は、栄枯盛衰を乗り越え今なお独自に進化していた』(2017/12/06)に詳しいが、「つけ麺大王」がきっかけとなり「つけめん」という呼び方が定着したと言われている。

“── 大勝軒で提供されていた“つけそば”をあえて“つけ麺”と名付けた、と。
槇氏:中華の、ラーメンの麺という意味合いだと思うんですよね。そばというと日本そばのイメージに近くなってしまいます。大勝軒さんとの違いを出すように、ツルッとした感じにしたかったようです。”

もしかしたら細麺の皿うどんも同じように、長崎県内に普及させたチェーン店があるのではないか? 考えられるのはあの「リンガーハット」だ。同社の普及度や規模なら充分にありうる。

ちゃんぽんチェーン リンガーハット

しかしこれは簡単に否定された。公式サイトの沿革ページによると、同社がリンガーハットの1号店をオープンしたのは昭和49年(1974年)とある。当初は「長崎ちゃんめん」という屋号だった。

昭和49年(1974年) リンガーハット開業

「長崎皿うどん」の販売を開始したのはさらに遅く昭和56年(1981年)だ。時期的には細麺皿うどんが主流になったあとだ。リンガーハット並みに影響力がありそうなチェーンも探してみたが見つからず。大規模チェーン説はなさそうだ。

リンガーハット 沿革

仮説その2、老舗中華料理店

大規模チェーンではなく老舗の中華料理店ならどうだろう。四海楼に比肩するほど古い店が、細麺だけを「皿うどん」として提供していたら、その呼び名が普及しても不思議ではない。

長崎市 新地中華街

長崎の新地中華街を中心に市内の老舗中華料理店をリストアップし、一軒一軒「皿うどん」を食べ歩いてみた。カッコ内は創業年。ただ食べ歩くだけでなく、「太麺の皿うどんがメニューに記載されているか」「皿うどんを炒麺と漢字表記しているか」の2点に着目してみた。どの店も注文の際に太麺をリクエストすれば太麺皿うどんを作ってくれる。しかし今回は細麺の位置づけが目的なので、あえてメニュー記載の有無だけで判断した。細麺しか掲載していない店では「細麺でよろしいですか?」などの確認はされなかったことも付記しておこう。

  • 四海楼(明32, 1988): 太麺のみ。パリパリ細麺は皿うどんではなく炒麺。
  • 美天有(大1, 1912): 太麺なし。漢字表記なし。
  • 会楽園(昭2, 1927): 太麺あり。炒麺は皿うどんではなく「あんかけやきそば」を指す。
  • 新和楼(昭3, 1928): 太麺なし。ただし最近まで提供していた。皿うどんの漢字表記は炸麺。炒麺ではない。
  • 京華園(昭19, 1944): 太麺あり。細麺も太麺も皿うどん=炒麺という漢字表記。
  • 江山楼(昭21, 1946): 太麺あり。細麺も太麺も皿うどん=炒麺という漢字表記。
  • 天天有(昭21, 1946): 太麺なし。漢字表記なし。
  • 康楽(昭23, 1948): 太麺あり。炒麺は皿うどんではなく「あんかけやきそば」を指す。

大正元年創業の「美有天」が細麺のみ記載というのは意外だった。また細麺を「皿うどん」と呼ばないのは四海楼だけという点も興味深い。正直、数軒はあると思っていたのだが。

1912_美有天

そして着目したいのは「炒麺」という漢字表記。「炒麺」は「皿うどん」ではなく「あんかけやきそば」を指している店が複数あった。麺を固く焼いてはいるが、中心部は柔らかい焼きそばだ。

1927_会楽園_2

戦前にも細麺の「皿うどん」が存在していたことは既に触れた通り。恐らく中国から来た料理人が、初めてみるパリパリ麺の「炒麺」を見て、”これはどう見ても「炒」めた「麺」ではない、きっと日本独自の料理「皿うどん」の派生だろう”と解釈し、太麺と同様に「皿うどん」と呼び始めたのではないだろうか。

1948_康楽

各店の創業年からすると、やはり戦後の早い段階で細麺の皿うどんが普及していたことが伺える。おそらく街場のチャンポン屋も同様だったろう。しかしほとんどの店は細麺だけではなく、太麺も細麺もメニューに載せている。太麺の「皿うどん」が人気という老舗もある。

1946_江洋楼

昭和40年代なら『あまカラ(74)』の山本健吉や『長崎への招待』の著者・嘉村国男のように昔ながらの太麺にこだわる人はもっといただろう。「皿うどん」の主流が完全に細麺へ移行するには、もっと決定的なきっかけが必要に感じる。

仮説その3、家庭向け商品

残る仮説は家庭向けの商品だ。かつて「支那そば」や「中華そば」と呼ばれた麺料理が「ラーメン」と呼ばれるようになったのは、日清食品「チキンラーメン」のテレビCMの影響だった。『ラーメンと愛国』(2011)で著者・速水健朗氏も「異論なき定説」と述べている。

ラーメンと愛国

“それまで「支那そば」「中華そば」と呼ばれることが多かったこの麺料理の一般名称が、「ラーメン」に切り替わり定着したのは、「チキンラーメン」のテレビCMによる影響だった。このことはすでに異論なき定説として定着している。”

パリパリ細麺の「皿うどん」にも同じように画期的な家庭向けヒット商品やテレビCMがあったとしたら、呼称が劇的に変化するだろう。そう考えて、長崎で販売されている「皿うどん」商品を洗い出し、一つ一つ発売時期や商品名を調べてみた。最終的にこれだと目をつけたのが「みろくや」の「長崎皿うどん」だ。先行する競合商品はあったが、そちらの商品名は「皿うどん」ではないので違うと判断した。

みろくや1

「みろくや」は長崎ちゃんぽん・皿うどんのメーカーで、その商品は主に土産物や贈答用として販売されている。東京駅丸の内北口近くの高架下には飲食店も出店している。

みろくや 東京駅 丸の内北口店

公式サイトの「みろくやの歴史」によれば、昭和42年(1967年)に「長崎名物皿うどん製造に着手」し、県外の物産展や海外への輸出を開始したと書かれている。「長崎ちゃんぽんの製造に着手」は昭和44年(1969年)なので、「チャンポン」より先に「皿うどん」が売られたことになる。

みろくやの歴史

“1967年(昭和42年)
長崎名物皿うどん製造に着手。
県外に販路を求め長崎県主催の長崎物産展に初参加。(三越本店)
ロサンゼルスにて開催された長崎県の見本市に参加。(長崎名物皿うどんの輸出開始)

1969年(昭和44年)
長崎ちゃんぽんの製造に着手”

昭和42年に製造を始めた「長崎皿うどん」は、はたしてパリパリ細麺だったのだろうか。同社の公式サイトから直接問い合わせてみたら、すぐに丁寧な返信をいただいた。それによると販売開始当初の『長崎名物皿うどん』は生麺で、揚麺の皿うどんの発売開始は昭和57年(1982年)とのこと。生麺の販売開始と、「皿うどん」イコール細麺のレシピが初出した時期が、ドンピシャで合致する。

IMG_5505_2

ここで長崎以外の方のためにちょっと補足しておこう。私も目の当たりにして驚いたが長崎では生麺の皿うどんが売られている。上の写真は新地中華街にある三栄製麺の店頭で売られていた生皿うどんだが、わざわざ中華街まで行かずとも、スーパーでも普通に生麺の皿うどんが購入できる。もちろんすでに揚げてある細麺を使う場合が多いが、家庭によってはこれを揚げるところから作り始めるのだ。さすが本場、長崎である。

みろくや3

時期的にはドンピシャだが、果たしてこれが正解だろうか。そういえば、みろくやでは太麺の皿うどんも販売している。みろくやからのメールでは「生麺」とだけ答えて、麺の太さには触れていない。当初の生麺がもしかして太麺の可能性は……と考えて、ハッと気付いた。

いやいや、太麺であるわけがない。もし太麺の生麺なら、それは「皿うどん」ではなく、まず「チャンポン」用の麺として売られるだろう。「みろくや」では「チャンポン」より「皿うどん」の販売が先だった。念のため「みろくや」に確認したら、現在販売している太麺皿うどんの麺はちゃんぽんと同じ麺を使っているそうだ。

みろくや2

なるほど、そういうことだったのか。家庭向け商品には「皿うどん用の太麺というのは存在しない」のだ。なぜならそれは「皿うどん」ではなく「チャンポン麺」だから。当たり前な話だ。「皿うどん」と「細麺」が完全にイコールで結ばれる。その認識がスーパーなどの小売店で商品を手に取る主婦層に広まり、それが当然と受け止められるようになる。家庭で日常的に皿うどんを消費する長崎でしか起こりえない現象だ。

そしてさらに決定的だったのはテレビCMだ。「みろくや持って通りゃんせ~♪」で始まり、「みろくやチャンポン、皿うどん~♪」で終わるCMソングは、地元の人に長年親しまれてきた。このCMについても問い合わせたところ、放送開始は1971年(昭和46年)、放送エリアは長崎県内のみだった。このCMにより「皿うどん」イコール「細麺」の認識が主婦層以外にも一気に広まり、定着したに違いない。

長崎の皿うどんが細麺一色になったことも、他県で太麺皿うどんのままだったことも、これで説明できる。昭和40年代、高度成長とカラーテレビの普及、スーパーマーケットでの流通革命の時代。ヒット商品が次々と生まれ、大量生産・大量消費で世の中が大きく変化した。「チキンラーメン」により「ラーメン」という呼び名が定着したのと全く同じ現象が長崎で起きたのだ。

「長崎という地域限定」で「皿うどんイコール細麺になる画期的な出来事」とはなにか? それは長崎で放送された「みろくや」「皿うどん」のテレビCMだったというのが、私のたどり着いた答えだ。

(「第五章 「炒麺(チャーメン)」とカタ焼きそば」に続く)