大貫本店

兵庫県尼崎市にある大貫(だいかん)本店。大正元年の創業で、現存する中では最古の中華そば店とされている。所ジャパンのロケで大阪を訪れたついでに、尼崎まで足を延ばして寄ってみた。

尼崎中央・三和・出屋敷商店街

大貫本店の最寄り駅は阪神尼崎駅だ。尼崎中央・三和・出屋敷商店街の長大なアーケードは相変わらず。一番街と二番街の間を、北に外れた横道に入ると、目的の看板が見えた。

阪神尼崎 大正元年創業 大貫本店

看板にも暖簾にも、「創業大正元年」「於神戸居留地」との文字。100年以上の歴史ある店なのだ。公式サイトには、こんな歴史が紹介されている。

浅草『来々軒』の味が忘れられない長治は、大正元年(1912)神戸外国人居留地初の中華料理店・『杏香楼』から中国人シェフの周氏を招きます。
そして当時の居留地に於いて日本人初の中華そば店を浪花町66番館にオープンします。

私個人としては、中華そば店と中華料理屋の境界がどこなのかを問いたいのだが、誰に問えばよいのやら。ただ、明治創業で現存する中華料理店は、「楼」を名乗る大店ばかりだから、確かに「そば店」とは呼びづらいな。(華香亭本店のような例外もある)

現存する最古の中華そば店

暖簾をくぐって店内へ。テーブルが7卓置かれていた。平日の13時半という、昼下がりの中途半端な時間帯なので先客はなし。

大貫本店 店内の様子

「空いてる席にどーぞ」と促され、手近な席に腰掛ける。店長さんがお冷を持ってきてくれた。

大貫本店 メニュー

メニューは麺類が中心で、一品料理もいくつかある。焼きそばは「やわい焼そば」「かたい焼そば」の2種があった。後者に「フライ麺」と括弧書きがしてあるあたりに、大阪っぽさを感じる。大阪ではフライ麺という呼び方が定着しているのだ。

「やわい焼そば(1,080円)、ください」
「あいよ!」

奥の厨房から、中華鍋で炒める音が聞こえてきた。注文から待つこと7分ほど。「おまちどうさまー」の声とともに、スープと焼きそばが配膳された。

やわい焼そばとスープ

焼きそばの皿は具でおおわれている。この具が、とろみの付いた餡でまとめられていたのなら、一般的なあんかけ焼きそばなのだが、とろみはない。麺は味付けされているので、具と麺とを別々に炒めたか、混ぜ炒めてから麺と具を別けたかして、重ねるように盛り付けたのだろう。

やわい焼そば 1080円

具は豚肉、エビ、イカ、たけのこ、キャベツ、人参、干し椎茸、玉ねぎ。豚肉はチャーシューなのかな。そしてグリンピースがトッピングされている。

麺は自家製の足踏たまご麺

具の下から麺を引っ張り出す。中細で軟らかめ。こちらでは大正元年の創業以来、自家製足踏たまご麺を使っているらしい。焼きそばもそのたまご麺なのだろう。食べたら玉子の風味を感じるかと思ったが、そうでもなかった。

後掛けソースが意外と合う

味付けは控えめ。スープと醤油だろうか、体験した覚えのない不思議な味わいだ。もしかしたら醤油は中華そばと同じ『100年追い足し熟成ダレ』を使っているのかも知れない。卓上にあったソースをサーっと掛けたら、意外とマッチする。後掛けソースも合うのね。

豚骨鶏ガラの白湯スープ

付け合わせのスープも焼きそばと共通する独特な風味である。『豚骨鶏ガラの白湯スープ』を謳い、まろやかでちょっと酸味がある。これが100年余りの歴史の味なのね。

さっと調べた限りだが、神戸居留地での中華料理店は、遅くとも明治30年(1897年)には存在していたようだ。明治30年4月に発行された『神戸の花』には、次のように書かれている。

南京町に至れば又支那料理のみを出すものもあるなり

同じく明治30年4月に発行された『神戸名勝案内記』にも、「南京町」の紹介で次のように綴られている。

支那(しな)割烹(れうり)の味(あぢわひ)殊に美(び)なり。其價は廉なるにあらざれども甚しく高(たか)きにもあらずとかや。

大正元年というとその15年後。『焼きそばの歴史《上》: ソース焼きそば編』にも書いたが、明治30年代から大正初期に掛けては、製粉業の勃興や製麺機の普及があった。関西ではとりわけ、1903(明治36)年に大阪で開催された、第五回内国勧業博覧会も大きな区切りになったことだろう。大貫本店の創業にそれらが影響を与えたのかまでが分からないが、消費者側で支那料理に対する受け入れ態勢が整った時期なのかも知れない。

食べ終えてお会計は1080円。独特な味わいで、混ぜ炒めともあんかけとも微妙に異なる、興味深い焼きそばだった。創業当初から提供されていたかが気になる。お店のスタッフの温かい接客も印象的だ。もし次に来ることがあれば、中華そばも食べてみたい。尼崎は良い町だなあ。