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New Woey Loy Goey Restaurant

2017年11月14日

6月の15日から23日に掛けて、アメリカ西海岸カリフォルニア州のロサンゼルスとサンフランシスコを旅してきました。一番の目的はBABYMETALのロサンゼルスでのライブだったのですが、もちろんついでに色々な焼きそばを食べ歩いてきましたよ。今回と次回は歴史のお勉強みたいな記事になっちゃいますけど、ご容赦のほど。


世界最大規模と呼ばれるサンフランシスコのチャイナタウン。その誕生のきっかけは1848年のカリフォルニア・ゴールドラッシュだった。アメリカ国内はもちろん、国外からも人々が殺到した。中国からの移民も多く、中でも特に広東出身者がかなりの割合を占めていた。ゴールドラッシュに先立つ6年前の1842年、阿片戦争終結に伴う南京条約で香港島はイギリスに割譲され、広東を含む5港が開港を迫られ、広東人は疲弊した清国と混乱する故郷を目の当たりにした。そんな矢先に始まったゴールドラッシュは、彼らにとってとても魅力的な新天地だったのだ。

サンフランシスコ チャイナタウン

移民船が寄港するサンフランシスコには、広東出身者を中心にした中国人が多く住みついた。1852年には中国移民が2万人に達し、さらに1863年のリンカーンによる奴隷解放宣言が苦力(クーリー)としての労働力需要を押し上げ、1869年には6万人を超えたという。サンフランシスコのチャイナタウンは、19世紀後半にこうして形作られていったのだ。

New Woey Loy Goey Restaurant, Chinatown, SF

そのチャイナタウンに New Woey Loy Goey Restaurant という老舗がある。1934年の創業というから、和暦だと昭和9年か。漢字表記だと同樂飯店。店頭には創業当時の古い看板が掲げられ、そこには「CHOP SUEY NOODLES」の文字が記されている。そう、中国移民たちの間で誕生して大流行したアメリカ中華料理「チャプスイ(Chop Suey)」が、文字通りこの店の看板メニューだったわけだ。

古い看板には「CHOP SUEY NOODLES」の文字

6月19日の月曜日。ロサンゼルスからサンフランシスコに到着してホテルのチェックインを済ませたあと、遅いランチで New Woey Loy Goey Restaurant を訪問してみた。店舗は階段を降りた地下にあり、広いフロアにはテーブルが多数並んでいた。中途半端な時間だったので先客は2人だけ。カウンター席に着くと温かいお茶と一緒にメニューが出された。

チャプスイ類のメニュー

この店では今でもチャプスイ(Chop Suey)を提供している。チャプスイは日本で言う八宝菜に似た料理で、いろんな野菜や肉を炒め煮したものだ。ライスや揚げた麺に掛けて食べるのが、本来のスタンダードな食べ方である。しかし、小姐(ウェイトレス)に「チャプスイを揚げ麺に掛けてくれる?」と訊いても、どうにも要領を得ない。実はチャプスイは今や古臭い料理のひとつで、このチャイナタウンでも提供している店は少ない。時代を経てチャプスイのようなアメリカ中華よりも本場の味が重視されるようになり、悲しいかな、いまではすっかり不人気なのだ。小姐がそういう食べ方を知らなくても無理はない。

焼きそば類のメニュー

小姐は「何言ってるのかしらこの人」みたいな表情を浮かべ、「ヌードルならこっちです」と焼きそば(チャオメン/Chow Mein)のページを示してきた。ま、そりゃそうだわな。結局、注文したのはこの店の屋号が付いた焼きそば、「同樂炒麵(Tung Lok Special Chow Mein/$7.50)」で、揚げ麺を指定した。揚げ麺は「香港スタイル(Hong Kong Style Cryspy Noodle / 港式煎麵)」と呼ばれ、1ドル増しとなる。ちなみにこの店のチャプスイはこんな料理だ。モヤシ主体でちょっとトロミの付いた炒め物という風情である。

注文してすぐにスープが、そして5分ほどで焼きそばが運ばれてきた。

カタ焼きそばとスープが出てきました

麺は極細の広東麺でカリカリに揚げてある。餡の具は焼豚、干し椎茸、エビ、貝柱、鶏肉、白菜。一つ一つ大きいのが大陸っぽくて良い。醤油ベースの味付けで椎茸と出汁が効いている。餡の水分はすくなめだが、トロミは控えめなためか、餡に浸っている麺はすぐ解れて柔らかくなった。「こんなのが出てくるんだ!」みたいな驚きは全くないが、豪華な具が満載で、素直に美味しいカタ焼きそばだ。

具が大ぶりで豪華です

スープは大きな丼で提供された。実は「スープも頼めば良かったかな」なんて思っていたところだったので密かに嬉しい。出汁は豚ガラか、味付けはごく薄めだが、コクがあって地味溢れる味わいだ。スープの中には豚肉、人参、瓜、大豆などが入っていた。量も多く、カタ焼きそばとスープで腹一杯になった。

無料サービスのスープも侮れない味わい

ところでこれまで何度か紹介したが、「カタ焼きそばはアメリカで発祥した」という説がある。ゴールドラッシュ時代にサンフランシスコの中華料理店で、客の求めに応じ、揚げ麵にチャプスイを掛けて提供したのが始まりとされている。台湾で購入した料理本のコラムにもその説が紹介されていたし、英語でその辺を語った記事も見つかる。

廣州炒麵發源地是在廣州嗎?

ただ、ここで疑問が湧いてくる。日本ではいつ頃からカタ焼きそばが食べられ始めたのか、だ。チャプスイを日本に初めて持ち込んだのは、1926年(昭和元年)に「本邦初のアメリカ式中華料理店」として創業した銀座アスターというのがこれまでの定説だ。私もそう把握してきた。

銀座アスターの創業当時のチラシ

しかしそれよりずっと以前から営業している広東料理店、例えば1905年(明治38年)に人形町で創業した大勝軒総本店や、横浜の華香亭本店(1908年/明治41年)・奇珍(1918年/大正7年)などは、創業当初からカタ焼きそばを提供していたと思われる。銀座アスターより前の時代からカタ焼きそばを提供していたであろう、これら広東料理店の存在を考えると、「カタ焼きそばアメリカ発祥説」が疑わしくなってくる。そのため私もこれまでその説に確信を持てなかった。

しかし今回のアメリカ滞在中に改めていろいろと調べてみたところ、その疑念を一気に払しょくする文献を見つけた。それがこちらの記事で参照されている明治30年に発行された『社会百方面』という出版物だ。

1894年(明治27年)、既に横浜にチャプスイが!?

これによると銀座アスターより30年以上前の1894年(明治27年)、日清戦争が開戦する頃には既に「ちやぶちい(=チャプスイ)」が横浜の南京町(現在の中華街)に存在していたらしい。

当時の南京町は中華街と言うより欧米各国の商人たちが主体だった。中国人も本国から直接来た人々ではなく、それら商人たちの通訳や使用人が主体で、もちろんアメリカからも来ていた。アメリカではこの数年前に印刷物にチャプスイが登場しているので、この頃にチャプスイが日本に持ち込まれていても不思議ではない。それが揚げた麺に掛けるスタイルだったかは不明だが、可能性としては高いと思う。

New Woey Loy Goey Restaurant 店内の様子

明治27年というと、現存する中華料理店は聘珍樓(1884年/明治17年)や萬珍樓(1892年/明治25年)くらいで、1899年(明治32年)に創業した東京・維新號や長崎・四海樓より5年も前のことだ。この頃にカタ焼きそばが既に持ち込まれていたのなら、後発の広東料理店が創業当初から提供していても何の矛盾も生まれない。この文献のほかにも次回の記事で述べるもう一つ別の理由もあって、私はいま「カタ焼きそばアメリカ発祥説」を確信している。豚肉とモヤシの「肉絲炒麺」や魚介を使った「三鮮炒麺」など、広東料理のあんかけ焼きそばがベースにあったのは確かだろうが、揚げ麺を使ったカタ焼きそばはチャプスイと共にアメリカで生まれたに違いない。それが現在の私の結論だ。

餡で解れた揚げ麺が美味しい

残念ながらこの店ではチャプスイと揚げ麺という組み合わせを食べられなかったが、店頭の看板を目の当たりにしただけでも満足できた。渡された伝票にチップを足してお会計。なお、1917年(大正6年)ごろから始まるチャプスイ・レストランの流行は、中国人ではなく日系の移民が主体だったらしい。その辺は次回の記事で触れる予定なのでお楽しみに。

店舗情報住所: 699 Jackson St, San Francisco, CA 94133
TEL: +1 (415) 399-0733
営業時間: 11:00~21:30
定休日: 無休
主なメニュー同樂炒麵(Tung Lok Special Chow Mein) $7.50
撈麵港式煎麵(Hong Kong Style Cryspy Noodle) add $1.00

同樂什碎(Tung Lok Special Chop Suey) $10.50