お知らせ 8/21 ハヤカワ新書『あんかけ焼きそばの謎』発売 「ほぼ日の學校」で糸井重里さんと焼きそば対談! WEB配信中! 【雑誌掲載】月刊「潮」11月号(10/5発売) 【コラム】長崎皿うどんの歴史的考察(4/7)2018年12月5日2021年7月17日 このページで公開していたコラムは、内容を精査した上で、Kindle本『焼きそばの歴史《下》:炒麺編』にまとめ直しました。恐れ入りますが、興味のある方はそちらをお求めください。 コラムあんかけ焼きそば, かた焼きそば, 焼きそば, 皿うどん, 長崎皿うどんの歴史的考察Posted by SaltyDog
ディスカッション
コメント一覧
丁寧なご調査とご考察、興味深く拝読しました。
私は昭和24年長崎生まれで、昭和42年まで同地で育ちました。
私が物心ついた時分にはすでに皿うどんは庶民の食べ物で、祝い事や客のもてなしなどで出前を取るのは決まって皿うどんでした。
そのころは、天天有(てんてんゆ)という店が最も皿うどんのうまい
店として通っておりました。そこの麺はひときわ細めのチャーメンで、
ちょっと偏屈な親父が客の顔を見てから麺を揚げ始めるので、
ずいぶん待たされる店としても名が通っておりました。
一方中華街の諸料理は、同じ名称のものがあっても中国の料理という感覚が強かったように記憶しています。
ちなみに、ちゃんぽんは、四海楼が発祥という知識はみな持っていましたが、もっぱら町の中華料理屋やラーメン屋のメニューで、ラーメンがうまければちゃんぽんもうまいという話も広まっていました。
そんなわけで、かつて長崎の住民であった自分に言わせてもらえば、ブログにある皿うどんの認識の広がりという話は、時期的に、少なくとも10~20年は遅いと思います。
gu_zoni (保田 叔昭) さん、貴重な証言ありがとうございます! 私の考察はあくまでも余所者の試論的なものなので、地元の方による指摘はとても嬉しく思います。
思案橋通りの「天天有」さん、私も先日行きました。色白の極細麺と粘り気の高い麺が印象的でした。たしかにメニューには細麺しか記載していませんでしたから、昔から皿うどんイコール細麺のお店だったんでしょうね。昭和30年の前半に細麺も皿うどんと呼ばれていたのは、こういうお店があったからだろうなと思います。
「中華街の諸料理は、同じ名称のものがあっても中国の料理という感覚が強かった」という感想も、地元の方ならではですね。参考にさせていただきます。本当にありがとうございました。
gu_zoni (保田 叔昭) さんの「ブログにある皿うどんの認識の広がりという話は、時期的に、少なくとも10~20年は遅い」との感想を受けて調べ直したところ、昭和32年には細麺の皿うどんが一般化していたことをうかがわせる資料を見つけました。それを受けて第三章の時代考察や第四章の論考の一部を変更しました。貴重な証言、ありがとうございました!
https://yakitan.info/archives/saraudon-history-3
これは凄いレポートです
昨年、精霊流し中継を引退宣言した長崎の郷土史家の越中先生もびっくりだと思います
私、15の時、両親が離婚して母の実家がある長崎市内に引っ越し、45まで30年間住んでました
家庭の事情もあるので定時制高校に働きながら通い、卒業後は運良く公務員試験をパスしましたので、長崎市の技術職員として25年半勤務しました
今は、生まれ育った東京に単身で戻り、在職中に独学で得た多数の国家資格を武器に民間企業に勤務しています
長崎市内に家も購入しており、妻が未だ住んでいますので定期的に戻っては居ますが、味覚はすっかり長崎人です(笑)
職務柄、合併旧6町を含め、市内はくまなく回っていましたので美味しい町中華は知り尽くしたつもりです
個人的には天天有、駅前かたおか(閉店)、旧共楽園(移転)、瓊浦公園そばの金龍、岩川飯店(閉店)、飲んだ後の三八ラーメン皿うどん太麺など、味が好みのお店がたくさんあります
皿うどんは昔から太麺が大好きで、お腹に溜まらないので自ら細麺は注文しませんでした
今週、東京銀座にある濱勝の卓袱料理屋が特製長崎ちゃんぽんを始めたので、チャリで食べに行こうかと思っています
近くには日本橋長崎物産館もありますしね
小笠原様、コメントありがとうございます。
長崎の味覚を持つ方にご評価していただき、とてもうれしく思います!
濱勝の卓袱料理屋、私もオープンした1ヶ月後くらいに訪問しました。
長崎ちゃんぽんも始めたんですね! 今度行ってみます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。