萬珍樓 本店

新型コロナが少し落ち着き、5月25日に一都三県の緊急事態宣言が解除された。密閉・密集・密接の「三密」を避けるという、新しい生活様式とともに、かつての日常が少しずつ戻ってきた。

賑わいを取り戻しつつある横浜中華街

解除されて2週間近く経った6月初旬の土曜日に、横浜の中華街を訪れた。まだまだ観光客の数は少ないものの、3月の閑散とした状態よりはだいぶましだ。中華街大通りも徐々に賑わいを取り戻しつつある。

横浜中華街 萬珍樓 本店

今回の目当ては萬珍樓本店だ。前々回に紹介した聘珍樓と同じ通りにあり、現存する中華料理店では聘珍樓に次いで古いとされている。萬珍樓の創業時期については、『聞き書き/横濱中華街物語』という本で、萬珍樓代表の「林兼正」氏が次のように語っている。

「萬珍樓」は、そうした横濱開港後の最も早い時代に開業した四つの料理店のひとつなんです。書物によると、一八九二(明治二十五)年に開店している。昔の写真に残っています。

萬珍樓の歴史

その「昔の写真」が店頭や一階ロビーに飾られて、メニュー冒頭にも掲載されている。明治・昭和・平成と、百数十年の移り変わりが分かるよう、外観写真が時代ごとに並べられたものもあった。

萬珍樓の変遷

『聞き書き/横濱中華街物語』によると、萬珍樓は2002年(平成14年)に火災で店舗を消失したという。しかし焼失前の店舗前景の精密なスケッチを描いていた人がいたそうで、それを参考にほぼ同じ姿で再建できたそうだ。

「包辦酒席」という文言

1階と2階の間に掲げられた「包辦酒席」という文言は、「宴会、引き受けます」という意味の謳い文句。明治時代の写真にある「承辦酒席」もほぼ同じ意味合いだ。明治から地続きの伝統をそこに感じる。

「龐柱琛」氏の銅像

建物へ入ると、1階ロビーの入り口付近に「龐柱琛先生」と題された胸像がある。こちらは萬珍樓代表「林兼正」氏の御父君で、日本名は「林達雄」。前々回に紹介したが、「龐柱琛」氏は戦後に聘珍樓の経営を引き継いだ華僑で、現在の聘珍樓代表「林康弘」氏は、萬珍樓代表「林兼正」氏の弟君に当たる。つまり明治創業の老舗二樓は、御兄弟で経営されているのだ。

今回も前置きが長くなった。受付で2人と告げると、エレベーターで2階へ案内された。一階奥にも客席スペースがあるのが、ちらりと見えた。2階にテーブルはたくさん並んでいるが、1卓置きに座れないよう花が置かれている。新型コロナ対策のソーシャルディスタンスを意識してのことだろう。大変だな。

萬珍樓 二階の様子

詳しくは『焼きそばの歴史・下巻』で書く予定だが、長谷川伸や獅子文六などの文筆家が、明治時代に南京町で食事をした様子を書き残している。興味深いのは二人とも2階へ案内され、一階で会計している点。どうも当時の中華料理店はそういう造りが多かったらしい。時代を経て同じ空間にいるのが不思議だ。

さて、注文。ランチコースが魅力的なのだが、目当ては焼きそばなので、聘珍樓と同じく今回もアラカルトだ。暑い日なので、飲み物は冷たいジャスミン茶をピッチャー(1200円)でお願いした。美味しいが量が多すぎた。2人なら素直にグラス2つで十分だったかも。

窯焼き叉焼(蜜汁叉焼) 小2400円

一品目は「窯焼き叉焼」(蜜汁叉焼/小2400円)。ほどよく脂身がある部位で、旨味が口の中にジュワーッと広がる。聘珍樓のそれに比べると歯応えが柔らかく、食味の違いに驚く。これは他の店とも食べ比べてみたくなるなあ。

大海老チリソース(川汁大蝦球) 小3000円

続いて「大海老チリソース」(川汁大蝦球/小3000円)。エビが大きい。あまりに大きくてチリソースが絡みづらい。普通サイズの方でも良かったかも。しかし味は美味い。具のない饅頭にこのソースを滲み込ませて頬張りたい。

アスパラとエリンギの香り炒め(鮑菇炒露筍) 小2100円

野菜も欲しいので、「アスパラとエリンギの香り炒め」(鮑菇炒露筍/小2100円)。無難な、しかし期待通りの美味しさだ。味付けがほどよく、アスパラがシャキシャキ。そういえば萬珍樓の味付けについて、『聞き書き/横濱中華街物語』では、「林兼正」氏が次のように語っている。

六十代でコンビニへ決して行かない人たちに「おいしい!」と言ってもらえるような味にしています。(中略)

(コンビニのラーメンやおにぎりが好きという)そういう人がうちの料理を召し上がったら、さすがに「まずい」とは言わないでしょうけど、「薄味!」とは言われるかも知れませんね。

たしかにコンビニやファストフードが普及するに連れて、世間全般の味付けが濃い目、濃い目へ傾いているように感じる。そんな中でのこういうポリシー表明は小気味いいし、応援したくなる。

萬珍樓 アラカルトメニューの一部

そして目当ての五目焼きそば(什錦香炒麺/1600円)。柔らかい麺か、硬い麺かを訊かれて、今回も硬い麺をオーダーした。あとでフロアスタッフに確認したところ、だいたい7対3くらいの割合で、柔らかい麺を選ぶ客の方が多いらしい。「カタはお好きな方、固定ですね」とのこと。

五目焼きそば(什錦香炒麺) 1600円

具はエビ、イカ、チャーシュー、豚肉、白菜、ニンジン、キクラゲ、青梗菜。餡の味付けはやや薄味に感じるが、それも前述の通り萬珍樓の狙い通りなのだろう。揚げたての麺は香ばしい。すぐに餡が滲みて、ムギュッとした弾力ある歯応えの麺に変容した。これがカタ焼きの醍醐味だ。

揚げたての麺は香ばしい

麺だけじゃなくご飯ものも食べたくなり、「国産牛バラ飯」(時菜牛腩飯/1900円)。ホテルニューオータニのメニューで採用された焼きそば=牛腩炒麺のライス版だ。これは美味い。牛肉は柔らかく、特有の旨味に溢れている。米は粘りの少ないタイプのようだ。『聞き書き/横濱中華街物語』の、「チャーハンや中華粥には、日本のような粘り気のある米よりもインディカ米の方が適している」という話を思い出す。

国産牛バラ飯」(時菜牛腩飯) 1900円

あれこれ頼んで、今回もランチにしては食べ過ぎてしまった。お会計はサービス料と消費税が加わって、2人で13,000円ちょっと。かなり高価なお昼になったが、満足できた。新型コロナで長らく営業停止していた飲食へ、せめてもの応援の気持ちも込めて散財していきたい。

ところで、明治時代の萬珍樓が映った絵葉書を、私も一枚所有している。萬珍樓に飾られている写真と看板の文言が全く同じなので、時代的には近いはずだ。

筆者所有の絵葉書

この写真を現在執筆中のKindle本『焼きそばの歴史・下巻』の表紙に使いたいと思い、Adjust Photo Serviceというところでカラー化していただいた。その結果がこちら。青空に翻る清王朝の国旗、「黄竜旗」が色鮮やかに再現されている。同社サイトでカラー化の過程が見られるが、素晴らしい出来栄えだ。

カラー化後

『焼きそばの歴史・下巻』は、新型コロナによる図書館などの閉鎖の影響もあって、執筆がなかなか進んでいない。6月に出版予定だったが、大幅に遅れそうだ。楽しみにされている方には申し訳ないが、気長にお待ちいただくようお願いしたい。