Koni, Botafogo Rua

2019年11月12日

すみません、一ヶ月近くサボってしまいました。ブラジル式焼きそばの続きです。


今回のブラジル遠征はサンパウロだけでなく、大迫力の観光名所・イグアスの滝や、両手を広げたキリスト像で知られるリオ・デ・ジャネイロも訪れた。

リオ・デ・ジャネイロにて

今回紹介するのはそのリオ・デ・ジャネイロ発祥のKoniというテマケリア(Temakeria)=手巻き(Temaki)専門のチェーン店だ。創業は2006年。こちらの記事によると2017年時点でブラジル国内27州のうち、10州に102の店舗を展開している。

Koni, Botafogo Rua

訪れたのはリオ・デ・ジャネイロのボタフォゴ(Botafogo)という地区にある支店。滞在しているホテルから3ブロックほど離れた場所にある。WEBの口コミはあまり評判がよろしくなさげだけど、遠くの支店もそんなに大きく違わないだろう。

時間帯は土曜の夜7時ごろ、ブラジル最後のディナーだ。この辺りは比較的治安が良い場所なのだが、それでも各建物は高さ2mほどの鉄柵を巡らし、上辺に鉄条網を巻き、1階・2階の窓はすべて鉄格子で覆ってある。店の看板が暗いのも、わざとなのかな。ともかく夜中に歩くのはあまりオススメできない場所だ。

Koni, Botafogo Rua, 店内の様子

店内にはテーブルが並ぶ。隣のイタリア料理店との壁は中途半端な仕切りになっていて、客席スペースが繋がっており、行き来できる造りになっている。デリバリーやテイクアウトがメインなのか、あまり客はいなかった。

注文は突き当りのカウンター。メニューの写真を撮りそびれたが、この店は手巻きを「KONI」という独自の呼び方で呼んでいる。公式サイトには1/2の焼きそばとKoniとドリンクのセット(KOMBO-4)が載っているのだが、メニューには見当たらない。仕方なく一つずつ注文する。

この日のレシート

旅の終盤なので現金を使い切ろうと50レアル札で支払う。大きな札なので透かして偽札じゃないかを確認する店員。ブラジルだけでなくアメリカでも大きな札は警戒されたっけ。レシートを見ると11レアル割引されていた(Valor Discontos R$ 11,00)。セットと同じ組み合わせだからかな。謎だ。

手書き数字が読みにくい

レシートには呼び出し番号が書いてあり、これで「51」と読む。手書き数字は、同じアラビア数字のつもりでも日本と欧米でかなり違うので注意が必要だ。(この記事が詳しい

「Cinquenta e um(スィンクエンタ・イ・ウン/51番ー)!」

席で待ってると番号が呼ばれた。トレイを受け取り、さていただきます。

KONIと焼きそばとお茶

注文した品は左から”Koni Croc”(Koni コロッケ/R$16.50)、”MATTE LEÃO 300ML”(マテ・リオン/R$5.50)、”1/2 YAKISOBA CAMARAO”(1/2 エビ焼きそば/R$21.90)だ。順にみていこう。

MATTE LEÃO 300ML

“MATTE LEÃO”(マテ・リオン)はライオン印のマテ茶。予想通り、砂糖入りで甘い。

Koni Croc

“Koni Croc(Koni コロッケ)”は「KONI」(手巻き寿司)にパン粉をまぶして油であげたもの。アメリカで太巻きを揚げたのをHot RollとかCrispy Rollなんて呼んでいるが、それと同じ発想だ。

意外と美味しい

手巻きの中身はサーモンフレークを混ぜた酢飯だ。一般的な日本人の感覚ではありえない調理法だが、食べてみるとライスコロッケのようで意外に美味しい。ブラジル現地で作られているサクラ醤油にも合う。ブラジルの手巻きにしてはコンパクトサイズで、軽く食べられた。

“YAKISOBA CAMARAO”(エビ焼きそば)は通常の1/2サイズ。麺は中太の縮れ麺。一本一本が短く、揚げ麺を茹でて戻してるような食感だ。あんかけではなく混ぜ炒めスタイルで、トロミもついてない。具は海老、キャベツ、人参、ブロッコリー。キャベツは半生気味でシャキシャキした歯ごたえが残っている。

味付けは醤油ベースなのだが、なんとも説明しづらい味だ。ソースのような酸味や香辛料の風味、甘さなどは感じない。ただ、不味いわけじゃない。リオ・デ・ジャネイロの焼きそばを何軒かリサーとしてみたが、こちらのような混ぜ炒めばかりだった。サンパウロから伝播する過程で、取捨選択されたのかな。

ブラジルにしては、全体的に軽めのボリュームだった。なお、サンパウロやリオ・デ・ジャネイロだけでなく、観光地・イグアスの滝の最寄りの町、フォズ・ド・イグアスにも「ヤキソバテリア(Yakisobateria)」=焼きそば専門店が複数存在し、その普及ぶりを実感した。ブラジル国内だけでも焼きそば食べ歩きブログが作れそうなほどだ。

さて、前回の記事の続きを書こう。スザノ市の広谷製麺所は、なぜソース焼きそばではなく、揚げ麺の焼きそばを選んだのか。覚えてない人は読み返してほしい。

ニッケイ新聞のこの記事では「広谷製麺所の初代経営者」は「日本でも製麺所を営んでい」て、「日本でヤキソバ作りの講習を受け」たと書いてある。そしてソース焼きそばではなく、揚げ麺の焼きそばをブラジルに広めた。その理由として次のような点を挙げている。

  • 熱いものでなければ、ブラジル人は好まないから
  • あんかけだとすばやく客に提供できる
  • ソースだと、あまり一般的ではなかった中濃ウスターソースが大量に必要
  • あんかけは味付けもコロニアで一般的に使われてきた食材で対応できた
  • 野菜は文協会員が無料で提供してくれるので材料代がかからない

しかし、これらの理由の前にごく基本的な観点が漏れている。そもそも当時の日本でソース焼きそばは一般的だったのか、という問いだ。焼きそば=ソースというのは現代の感覚では当たり前だが、地域や時代で異なる。

以前、「支那料理屋の焼きそば考」で書いたように、ソース焼きそばは戦前では東京周辺でしか食べられておらず、全国に広まったのは戦後のこと。戦前の支那料理店で焼きそばといえばあんかけが一般的だった。戦前を日本で過ごしてブラジルへ渡った人が、もし「焼きそば」と聞いたら、まずあんかけの方を想像したに違いない。

さらに広谷製麺所の初代経営者の出身地について調べてみたところ、どうも山口県岩国市出身の方らしい。例えば「山口県人会=日本祭りで販売の瓦そば試食会=明治維新150年特別メニュー」にはこう書かれている。

また、毎年バリバリそばの麺を提供する広谷製麺社(スザノ市)の広谷耕作社長(60、岩国市)特製の柚子胡椒もめんつゆに混ぜて試食。柚子胡椒の風味に慣れない青年らからは「辛いけど少量で食べるとおもしろい味になる」などといった感想があちこちから聞かれた。

山口県ブラジル親善会 – 協会沿革」には初代社長らしき名前も見つかった。

1978年(昭和53年)4月8日 / 在伯山口県人会の母県訪問団来県 団長 広谷泰昌県人会長ら17人

岩国はお好み焼きの聖地・広島のすぐ隣ということもあり、昭和40年代でもソース焼きそばには馴染みがあったろう。しかし焼きそばの講習を受けたのが、県人会で訪れた山口市だったとしたら?

山口市の中華料理店では「バリそば」と呼ばれる揚げ麺のあんかけ焼きそばが普及している。一部の店では「ヤキソバ」とも呼んでいる。

1973~1975年頃に中国人が東洋人街で「ヤキソバ」を売り始めたのに触発され、「ヤキソバ」に興味を持つ。県人会で訪れた山口でその「ヤキソバ」の作り方を習う。そしてスザノに揚げ麺の「ヤキソバ」を伝え、ブラジルに広まる。

私はそんなストーリーを想像した。実際のところはわからないが、地域や時代からソース焼きそばという発想がそもそもなかった可能性は高いと思う。特に日本から遠く離れた地であれば。

いろんな食文化が複雑に絡み合って生まれたブラジルの焼きそば。混ぜ炒めもあんかけも、この国ならではの必然だったのだろう。