お好み焼 みかさ (神奈川県横浜市)

先日、戦前の名残を留める人形町のお好み焼き店、松浪を紹介したが、さらにもう一軒、貴重なお好み焼きが提供されている店を見つけた。横浜は野毛にある、老舗お好み焼き店、みかさだ。

野毛 お好み焼 みかさ

松浪でご一緒していただいた『お好み焼きの戦前史』の著者、近代食文化研究会さんを今回もお誘いし、その野毛のお好み焼き店・みかさを訪問してみた。

お好み焼 みかさの来歴

訪れたのは土曜日の昼下がり。浅草の染太郎を彷彿とさせる店構え。店頭の来歴で「風流お好み焼」と添え書きされている辺りも染太郎を思い出させる。創業は昭和28年(1953年)。『関西風でも広島風でもない『みかさ風お好み焼き』を』という謳い文句にワクワクしつつ入店。

お好み焼 みかさ 店内の様子

店内は落ち着いた雰囲気だ。畳敷きの座敷が左右にあり、天板が鉄板になっている座卓が2卓ずつ置かれている。掘りごたつではないが、座卓なので腰掛けるのが楽だ。先客が1組いて、生くじら焼きしゃぶなどでワイワイやっていた。

お好み焼 みかさ メニュー

こちらがお好み焼きのメニューだ。見慣れた品もあれば、「え? なにそれ?」という品もあり。その幾つかは既に絶滅したと思われていた、まさに生きた化石のようなお好み焼きなのだ。近代食文化研究会さんは、たぶん日本で最もこの凄さが分かる人なのではないかと思う。

しょうがてん 660円

まずは生ビールで乾杯して、小手調べに「しょうがてん(660円)」を注文。小麦粉を溶いた生地と紅生姜が入った、小さめのホーローカップが運ばれてきた。量は少なめでシンプルな構成だ。よーく混ぜて、熱した鉄板に広げる。この小麦粉の生地には揚げ玉とキャベツが既に入っているらしい。両面が焼けたらソースを塗り、青海苔を塗して出来上がり。

爽やかな生姜の風味

爽やかな生姜の風味と軽やかな口当たりが特徴的な、乙な味のお好み焼きだ。ソースは濃厚ソースもウスターソースがあり、どちらもサフランソースの製造元に特注しているオリジナルソースだとか。その辺にも老舗ならではのこだわりがありそうだ。

もちしゅうまい焼き 620円

続いて「もちしゅうまい焼き(620円)」。「しゅうまい」は戦前のお好み焼き店でおなじみのメニューだったらしいが、今は浅草の染太郎くらいにしか残っていない。時を経て染太郎では「しゅうまい天」というメニュー名になったが、『お好み焼きの戦前史』によると本来はあくまでもただの「しゅうまい」らしい。「しゅうまい」に「天」がつくはずがない、という理由については『お好み焼きの戦前史』をお読みあれ。

もちしゅうまい焼きの作り方

「もちしゅうまい焼き」を注文したら細長く切った餅が4本と具、小麦粉の生地の入ったホーローカップが運ばれてきた。具はエビ、ミンチ、キャベツ、玉ねぎのみじん切りだ。「え、これどうするの?」と思われるかも知れないが、作り方が書かれた紙も渡されるので安心して焼こう。

もちしゅうまい焼きの制作過程

まずは具を炒める。餅で囲んだ枠に少量生地を垂らし、炒めた具を入れ、残りの生地を注ぐ。染太郎で食べたことがあるが、あちらに比べると具も生地も多い。そのためちょっと餅の枠からあふれてしまった。さらに火が強すぎて焦げてしまったのもご愛敬。お好み焼きはこういうものなのだ。

見事に焦げた、もちしゅうまい焼き

焼きあがった「しゅうまい」を4つに切り分け、醤油とカラシて食べる。肉とエビ、玉ねぎの風味で本当に中華料理のシュウマイっぽい味わいだ。ほんとお好み焼きって、不思議な食べ物だよなあ。ちなみに「もちぎょうざ焼き」はしゅうまいと材料が違うそうで、食べ方も酢・醤油・ラー油を使うそうだ。

のげ焼きの材料

次は「塩崎さんも焼きそばを」と促されて注文した「のげ焼き(820円)」。他の焼きそばを差し置いて、敢えてこの「のげ焼き」を選んだ。運ばれてきたのは通常の焼きそばの材料。そして生玉子が二つ割られた丼だ。

麺を細かく刻みながら炒める

焼きそばの麺はやや黄色味を帯びた蒸し麵。その上にミンチとラード。下にはキャベツとモヤシが隠れている。熱したラードを引いて、ざざっと広げ焼きそばを作り始める。この時、そばめしの要領で麺を細かく刻みながら炒めるのが、みかさの「のげ焼き」の肝なのだ。

焼きそばを生卵とかき混ぜます

あらかた火が通ったところで、塩と胡椒、ソースと味の素で味付けして、麺を刻んだ焼きそばの出来上がり。その焼きそばを生卵の器に入れ、よーくかき混ぜる。混ぜたったらそれ鉄板に広げて焼く。要は焼きそばの玉子綴じだ。同様の品は、新梅田食堂街の「きじ」が提供しているモダン焼きや、和歌山県御坊のご当地グルメ「せち焼き」が知られている。しかし、まさか関東でも昔から食べられているとは思わなかった。

のげ焼き=焼きそばの玉子とじ

食べてみるとソースの味わいに玉子のまろやかさが加わって、すこぶる美味しい。フワフワの玉子と、モチっとした麺の食感も面白い。近代食文化研究会さんにも好評だった。ソース焼きそば入りの玉子焼き、もっと流行っても良いな。

焼きそば入りの玉子焼き、のげ焼き

女将さんの話によると、こちらのみかさは東銀座の歌舞伎座の近所にあったお好み焼き店を参考にして創業したそうだ。その店では「銀座焼き」という名で同様の品を出しており、それに倣って「野毛」の地名をつけて「のげ焼き」としたらしい。つまり昭和28年よりだいぶ前から、焼きそばを玉子で綴じて焼く食べ方が東京には存在していたことになる。これは個人的にちょっと衝撃だ。東銀座の店の来歴が知りたい。

【追記】近代食文化研究会さんから公開後に教えていただいたが、染太郎では昭和12年の創業当時から「おかやき」という名前で同様の品を提供していたそうだ。まさかそんなに古くからとは思わなかった。情報ありがとうございます。

さらに1つお好み焼きを追加注文。選んだのは「干しいかてん(700円)」。小麦の生地と紅生姜の間に、切りいかとも呼ばれる糸状に加工されたスルメが挟んである。

干しいかてん 700円

じゃりン子チエで堅気屋のおっちゃんがお好み焼きのレシピを滔々と語る回があるが、あのレシピにも使われていたのがこの細ーいイカだ。よーく混ぜて焼いたが、形質状、干しいかが玉になってしまった。それでもイカの風味を感じてなかなか美味しい。焼き上がりの画像はしょうがてんや野毛焼きと大差ないので省略。

おしるこ焼き 500円

最後にデザートとしておしるこ焼き(500円)をお願いした。ホーローカップ生地の下にはあんこが隠されていて、角切りの餅が入っている。これをよーくかき混ぜて焼き、両面が焼きあがったら、シロップを掛けていただくのがこちらのお汁粉だ。焦げやすいので焼くときは気をつけよう。

餅入りクロンボにシロップ掛けて

お好み焼きの戦前史』に紹介されている「おしるこ」は、薄く焼いた小麦の生地を切ったり曲げたりして器を模写し、その中に餡子を入れたものだ。みかさのおしるこ焼きとはだいぶ異なるが、お好み焼きは自由なのが本質なので、いろんなタイプの「おしるこ」があったのだろう。なお餅が入っていないのは人形町・松浪と同じく「くろんぼ」と呼ばれていたそうだ。やはり政治的な配慮でメニューから消えたらしい。

サービスの柚子シャーベット

お会計をお願いすると、サービスで柚子シャーベットまで出していただいた。お酒もたくさん飲んで、一人3000円ちょっと。女将さんから他にもいろいろと貴重な話を伺えて、とても参考になった。ネットにはこちらの口コミも多々あるが、『お好み焼きの戦前史』を読んだ後に訪れてみると、こういう稀有な側面に気付くのではないだろうか。そういう食の楽しみ方も癖になりますよ。

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【テレビ出演】4/27 TBS系列『あさチャン!』

テレビ出演のお知らせです! 4/27(金)、TBS系列で放送されている朝の情報番組『あさチャン!』に出演します! 私が出る時間帯は7:40〜50くらいの予定だそうです。たぶん出番は僅かだと思いますけど、良かったらご笑覧くださいませ〜。

【出演番組】あさチャン[email protected]系列
【放映日時】 2018/4/27(金) 朝5:25〜
【公式サイト】http://www.tbs.co.jp/asachan/

あさチャン

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来集軒 (東京都台東区)

西浅草にある1950年(昭和25年)の創業の来集軒。ルーツをたどると東京最古の製麺所とも言われている1910年(明治43年)創業の来集軒製麺所なんだとか。ちなみに同年には東京ラーメンの元祖とも呼ばれる来々軒が同じ浅草で創業している。(実は来々軒より古い支那そば屋が浅草に存在していたが、それはいつか別の機会に触れよう)

西浅草 来集軒

来集軒を訪問したのは4月下旬の土曜日のお昼時。4月とは思えない暑さの日だ。国際通りから合羽橋方向に少し入った辺りに看板が出ていた。客席は4人掛けのテーブルが3卓と6人がけの楕円テーブルがひとつ。1人客は楕円テーブルの方へ案内される。開店直後のため先客は2人だけだったが、あとから続々と入って来た。詰めて着席、相席が当たり前のようだ。

来集軒 メニュー

さてメニュー。周りの壁には色紙がぎっしり貼られている。焼き餃子は無くてシューマイやワンタンがある。その辺りに戦前の支那そば屋らしい風情を感じる。こちらではシューマイが名物で、微塵切りの玉葱と片栗粉を混ぜた餡を使い、豚肉は使っていないそうだ。足利のシューマイに酷似している。卓上の大きな醤油刺しは中身がソースで、それを掛けて食べるらしい。

来集軒 卓上調味料

焼きそばはソース焼きそばやカタヤキがあるが、今回注文したのは台湾めん(850円)。台湾めんというと台南担仔麺や台湾牛肉麺、あるいは名古屋名物の台湾ラーメンを想像してしまう人が多かろう。しかしこの店の台湾めんは何故か焼きそばなのだ。

台湾めん 850円

似たような命名では小伝馬町・皆楽園の「上海麺」がある。しかしあちらはちゃんと「炒麺」に分類されていた。来集軒の場合は焼きそばと一言も書かれていないので注意しよう。と言ってる間に、注文から5分ほどで焼きそばの皿とスープが運ばれてきた。

塩味の中華焼きそばです

麺は手もみ風の平打麺。茹でたあとに水で締めているのか、ツルッとしたテクスチャでシコシコした弾力がある。具は豚肉、キャベツ、モヤシ、キクラゲ。てっぺんに刻んだチャーシューをトッピング。

味付けは塩味だが、かなり強め

ボリュームはほどほど。見た目の白さそのまんまで味付けは塩味だが、かなり強め。チャーシューも醤油の味わいが強く、おまけに脂もたっぷり。ギトギト、ガッツリした塩焼きそばだ。

台湾的な要素が全然見当たらない

豚肉とチャーシューの両方使いというのも、ちょっと珍しい。食べていると喉が乾いてくるが、今日みたいな暑い日はこの濃いめの味付けが一層美味しく感じる。ただ台湾的な要素が全然見当たらないのは気のせいだろうか。ま、それが面白い点なのだが。

付け合せのスープは油膜が張ってます

付け合せのスープはネギを浮かせた醤油味。湯気が立ってないので温いのかと思ったら、油膜が張っているだけだった。レンゲがないので直接唇を付けて啜ったら、あやうく火傷しそうになった。あぶないあぶない。

食べ終わってお会計。帰る頃にはほぼ満席になっていた。あとから来た客のうち2組が「ソース焼きそば2つとシューマイ」を注文していた。うーん気になる。次回来ることがあれば、自分もソース焼きそばとシューマイにしてみようっと。

【2018.04.23追記】なお、来々軒が来集軒製麺所の麺を使っていたのでは、という説もあるが、それは誤り。『お好み焼きの戦前史』からの孫引きになるが、『にっぽんラーメン物語』で来々軒の三代目尾崎一郎が、来々軒の製麺方法は青竹を使って伸ばす方式だったと証言している。

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からくさや 両国店 (東京都墨田区)

一日遅れとなりました。今週分の記事でございます。どーぞー。


「ペヤングにベビースターをトッピングすると激ウマ」。そんな噂を耳にして、先日実際に試してみた。うむうむ、確かにウマい。ペヤングを提供している店をこれまで何件か紹介したが、こういうアレンジも面白い。

ところで博多にもベビースターラーメンをトッピングした焼きそばならぬ焼きラーメンを提供している店がある。屋台をルーツにしたKenzo Cafeという店で、モツ鍋なども評判とのこと。そして今回紹介する東京の「からくさや」でも、そのKenzoスタイルの焼きラーメンが食べられるのだ。

墨田区石原 からくさや 両国店

基本的にご当地ものは現地で食べる主義なのだが、ベビースターとの相性がどんなものか確かめたくなり、訪問することに。からくさやは墨田区の石原にある。最寄り駅はJR総武線の両国駅か、地下鉄の蔵前駅なのだが、どちらからもかなり歩く。

そうですか、プレミアムモルツですか

日曜の夜に訪問。直前の誘いにも関わらず塩見なゆさんが来てくださった。19時過ぎに入店。店内は結構混んでいる。とりあえずビールで乾杯。プレミアムモルツを飲むの、久しぶりだなー。

お通しのもろキュウ

お通しはもろキュウ。キュウリというと夏のイメージだが、血圧が気になるおっちゃんとしては嬉しい。シャクシャクと齧りながら、メニューを物色。

からくさや メニュー

実は1軒目に近所のペーパームーンでハワイ風焼きそばをつまみに軽く飲んできた。あまり品数を頼めないが、とりあえず名物のモツ鍋は外せまい。1人前(1050円)から注文できるのが嬉しい。

モツ鍋 1人前 1050円

鍋がセッティングされ、カセットコンロ着火。だいぶ温まってきた頃に天辺にトッピングされたニンニク味噌を豚骨スープに溶かす。キャベツ、モツ、ニラが良い感じで煮えてきた。塩見さんが片口に取り分けてくださったのを早速いただきます。

モツ鍋 1人前 1050円

モツは厚みのあるシマチョウ。脂がプルプルと震えている。頬張ると口の中で溶けた。味付けはやや濃い目だが、キャベツやニラに滲みるとちょうどよい塩梅になる。ニンニクの欠片も余さずいただいた。

焼そばに見えるばってん焼ラーメン

男梅サワーとか酎ハイレモンなどお代わりして、お次は目的の焼きラーメン(750円)。店内のポスターには「焼そばに見えるばってん焼ラーメン」とある。こちらのオーナーさんが件のKenzo Cafeの前身の屋台で修業されていた。その縁で同じスタイルの焼きラーメンを提供しているそうだ。

焼きラーメン 750円

しばらくして濛々と湯気を立てた鉄板が運ばれてきた。博多ラーメン用の細いストレート麺と豚肉・キャベツ・ニラ・モヤシが炒めてあり、紅生姜・生卵、そしてベビースターラーメンが乗っている。ベビースターはわざと砕いてあるのか、一本一本が短い。

食べる前によーく混ぜる

「食べる前によーく混ぜてください」との店員さんの言葉に素直に従い混ぜてみる。生卵が鉄板の熱で半熟気味に固まった。ベビースターもしんなりしてくる。焦げたキャベツも食欲をそそる。

味付けは意外なくらい甘い

味付けは意外なくらい甘い。焼きラーメン発祥の店、天神の小金ちゃんではソースの風味が強かったが、こちらの焼きラーメンはだいぶ異なる味わいだ。しっかり混ぜ過ぎたせいか、ベビースターのカリカリした食感は薄れてしまったが、なかなか乙な味だった。

目的の品を平らげたところで、さっくりとお会計。ここからまさかもう2軒ハシゴするはめになるとは、さすが塩見さん。ついつい釣られてご相伴してしまったが、翌朝が結構きつかった。

ちなみに北海道の帯広にも焼きラーメンの文化がある。博多のそれと食べ比べてみるのも一興だろう。機会があればお試しあれ。

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丸長 新井薬師店 (東京都中野区)

東池袋大勝軒の山岸一雄氏を輩出したことで知られる丸長のれん会。もちろんつけ麺(つけそば・もりそば)が同会の名物なのだが、基本的につけ麺専門店ではなく大衆中華だ。しかものれん分けなので各店の裁量が大きく、つけ麺も他のメニューも店ごとに個性がでる。(丸長のれん会の歴史については、刈部山本さんが現会長にインタビューしたこちらの記事が分かりやすい)

そして中には焼きそばを置いている店も存在する。実は以前、丸長のれん会で焼きそばを提供している店を総ざらいしたことがある。これがその一覧だ。

丸長のれん会 焼きそば系メニュー一覧

調査時点で既に閉店してある店は調査対象から外した。焼きそばを提供している店自体があまり多くない。提供していてもソースやあんかけ、カタ焼きそばなどタイプは店ごとに全くバラバラだった。ただ大勝軒を名乗る店はソース味が多いという、そんな傾向はある。そしてこの調査の結果、焼きそばを置いている現存店で創業年数が最も古いのが丸長新井薬師店だと分かった。

丸長 新井薬師店 外観

丸長新井薬師店(薬師丸長)は西武新宿線・新井薬師前駅の南口を出たすぐ目の前にある。昭和29年創業。カウンター7席だけのこじんまりした店だ。2つ離れた駅に住む私は、学生の頃からちょくちょくつけ麺(この店では「つけそば」)を食べに寄らせてもらっている。

つけそば 600円

もともとこのエリアは中野大勝軒・中野栄楽・野方大勝軒・沼袋丸長など、丸長のれん会の店が多かった。つけ麺が食文化としてしっかり根付いていて、私もそれらの店でちょくちょくいただいた。残念ながら次々と閉店して、今では中野大勝軒と丸長新井薬師店くらいしか残っていないが、今でも客は十中八九、つけ麺を注文する。

丸長 新井薬師店 メニュー

そんな丸長新井薬師店で敢えてヤキソバ(700円)を注文してみた。これまで私もここではつけそば(600円)しか食べたことがないし、他の客が焼きそばを注文しているのも見たことがない。

丸長 新井薬師店 カウンターの調味料

注文を受けて店主は食材を皿に準備した。熱した中華鍋に油を引き、キャベツ、人参、茹でた麺を順次投入。味つけしつつ混ぜ炒め、最後にチャーシューを入れ、少し炒めてできあがり。

ヤキソバ 700円

麺は太麺。この店で何度も食べているつけそば用の麺だ。焼きそばも茹でたあとに水で締めているらしい。しなやかなコシがあり、モチモチ・シコシコした食感。ボリュームもたっぷり。つけ麺は麺が美味しくなくちゃ始まらないもんなあ。

つけそば用の太麺を使用

麺が主体で、具はシンプルかつ少な目という印象。使われているのはチャーシュー、キャベツ、人参だけで、青のりも紅生姜もない。味付けは醤油系かと思ったが、まさかのソース味。それもかなり濃厚なガッツリ系だ。甘味も酸味も強く、スパイスもほどよく利いている。

味付けはかなり濃厚なソース味

量が多く味も濃いため苦手な人もいるかも知れないが、麺自体が美味しくて私はスルスルと平らげることができた。ネギ入りのあっさりスープも美味しかった。注文時に餃子も頼もうかと思ったが、焼きそばだけで満腹だ。

付け合せのスープはあっさり風味

意外にもソース味の焼きそばでちょっと驚いたが、モチモチ麺が印象的な一皿だった。メニューの中ではつけ麺が断トツ人気で、次がラーメン系だろうけど、機会があればぜひ焼きそばもお試しあれ。たぶんビールにも合うはずだ。

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松浪 (東京都中央区)

「お姉さん、『くろんぼ』一つ!」

ポリティカル・コレクトネスとしては完全アウトな台詞を、お好み焼き屋で口にする私。そこに至った経緯から話そう。

今年1月に『お好み焼きの戦前史』という衝撃的な本に出会った。戦前の膨大な文献を収集・整理してお好み焼きの歴史を詳らかにした一冊で、これまでの定説を幾つも覆している。もちろん焼きそばも大いに関わっており、私がこれまで食べ歩いた経験を重ねて読むと、目からウロコがボロボロ落ちた。Kindle版のみという点に抵抗がある人もいるかも知れないが、お好み焼きの歴史に興味がある人は必読と言えよう。

昭和26年創業 人形町 お好み焼き 松浪

著者は近代食文化研究会さん。会を名乗っておられるが実質は個人のようで、Twitterでも日々やり取りをさせていただいている。それに触発されて書いたのが先日の長文コラム『支那料理屋のヤキソバ考』だ。そのうちに一度ぜひとも直接お会いしてみたくなり、ここ人形町のお好み焼き店・松浪で対面することになったのだ。本を勝手に宣伝しつつ、その日の様子をお伝えしよう。

人形町 松浪 看板

ここ松浪の創業は昭和26年(1951年)。昭和27年に砂糖と小麦粉の統制が解除される、その前年だ。2016年12月にリニュ―アルしたそうで、店舗は真新しい。ただ畳敷きの座敷に鉄板を設えた卓袱台が並ぶ光景は、恐らく往年とそれほど違わないだろう。まずは初対面の挨拶を交わして、ビールで軽く乾杯。

松浪 お好み焼メニュー

さて、この店には戦前のお好み焼き屋で提供されていたメニューがいくつも残っている。近代食文化研究会さんも「まさか今でもあるなんて」と驚くほど。冒頭で述べた「くろんぼ」もそうだし、最初に注文した「キャ別ボール(800円)」もその一つだ。

キャ別ボール 800円

「キャ別ボール」はここだけの独特な表記で、通常は「キャベツボール」と書く。高見順『如何なる星の下に』で惚太郎(浅草・染太郎がモデル)の品書き一覧にも出てくる料理だ。池波正太郎は「キャベツと揚げ玉を炒めたもの」と証言しているが、ここ松浪ではキャベツと和牛そぼろが出てきた。

キャ別ボール 800円

店員の女の子に作り方を訊くと、「ラードを引いてキャベツに火が通るまで混ぜ炒めてください」との答え。肉に味が付いているので、ソースなどは足さなくて良いとのこと。言われた通りに作ると、ものすごーくシンプルなキャベツと牛挽肉の炒め物が出来上がった。甘めに味付けされた和牛そぼろは、神戸市長田のスジコンにも通じる味わいだ。あまりの素朴さに二人とも思わず頬が緩む。

続いては「牛てん(800円)」。今はお好み焼きの品書きは「○○焼」や「○○玉」という表記が一般的だが、浅草の風流お好み焼・染太郎を始め、古い店は「○○天(てん)」という名前で提供している場合も多い。その理由が『お好み焼きの戦前史』の「天ものの謎、とける」という節に実に明快に書いてある。興味のある方はぜひ読んでみて欲しい。

牛てん 800円

こちらの牛てんはお椀サイズの器で出てきた。底にキャベツの千切りが敷かれ、小麦粉を水で溶いた生地がそれを覆い、見覚えのある和牛そぼろが乗っている。お前、さっきもいたよな。鉄板にゴマ油を引き、生地と具をよく混ぜて丸く広げる。現代は大阪で流行したせいか厚く焼くのが好まれるが、恐らく戦前のお好み焼きは熱効率を考えても薄かったのではないかと思う。

牛てんは混ぜ焼きです

ところでお好み焼きの歴史というと、大阪風の「混ぜ焼き」と広島風の「のせ焼き」のどちらが先だったかが議論されがちだ。しかしそれについても『お好み焼きの戦前史』の「具は混ぜて焼くか、のせて焼くか」という節に、当時の証言付きで結論が書かれている。その点だけでもこの本は読む価値があると思う。

ウスターソースの酸味が利いてます

焼きあがったところにウスターソースを塗り、青海苔を振りかけて出来上がり。これも素朴な味わいだ。生地に山芋でも混ぜてあるのか、さくっとした食感。酸味勝ちのウスターソースと甘めの肉そぼろであとを引く美味しさだ。

ソースはウスターソースのみという潔さ

ちなみに「とんかつ」や「お好み焼き」用として親しまれている濃厚ソースは、戦後の昭和23年(1948年)にオリバーソース社が初めて販売した。中部以東でお馴染みの中濃ソースはさらに時代が下ってから。この店はウスターソースしか置いていないが、創業した年代的には正しいと言える。

食事・甘味メニュー

そしてお待ちかね、焼きそば(800円)だ。メニューには五目焼きそばも載っているが、敢えて無印の方にした。

焼きそば 800円

運ばれてきた皿には蒸し麺が乗せられ、その下にはキャベツとモヤシが敷いてある。蒸し麺の上にはいつもの和牛そぼろ、またお前か。それと微塵切りの紅生姜。これも熱した鉄板にラードを引いて、ざっと食材を広げて適当に炒める。

見た目は今の焼きそばとほぼ同じ

あらかた火が通ったところでウスターソースのみで味付け。焦げたソースが香ばしい。青海苔を掛けて出来上がり。見た目は現代とほとんど変わっていない。というか、終戦直後からのソース焼きそばを散々食べているから、自分が見慣れているだけかも知れない。

後からソースを足すとちょうど良い塩梅に

食べてみると味付けが薄すぎた。完全に自分のせいだが、味付けが濃すぎて失敗するよりはましだ。後からソースを足すとちょうど良い塩梅になった。和牛そぼろの甘さと風味で、長田風のぼっかけ入り焼きそばっぽくもある。甘じょっぱく味付けした挽肉って万能なんだなあ。

あんず巻きは記事を細長く広げます

あれこれ話し込みつつ、デザートの甘味へ。まずはあんず巻き(650円)。近代食文化研究会さんがぜひ食べてみたいと仰っていた品だ。鉄板にゴマ油を引き、小麦粉の生地を細長い楕円状に広げる。

あんず巻き 650円

両面が焼きあがったら、その上にシロップ漬けのあんずと餡子を乗せる。餡子だけの「あんこ焼き」は今でも置いている店がちらほらあるが、あんず巻きは私も初めてだ。それをくるりと巻いて出来上がり。あんずの酸っぱさと餡子の甘さ、ゴマ油の風味で期待を超える美味しさだ。

包んだ姿が可愛らしい

このあんず巻き、実は2つ作ったのだが、私が作ったのはもう写真撮るのも憚られるほど形が崩れてしまった。まあ、失敗しても笑いながら問題なく食べちゃえるのが、お好み焼きの楽しさだろう。

くろんぼ 550円

そして最後に注文したのが冒頭の台詞にあった「くろんぼ(550円)」。注文すると水に溶いた小麦粉と餡子が、漆器の片口で出された。まずはこれをよーく混ぜる。たぶん混ぜあがった色がメニュー名の由来だろう。良いとか悪いとか、現代の基準で当時をはかるのはダメ、絶対。

小さめのパンケーキ状に両面を焼く

熱した鉄板にゴマ油を引き、小さめのパンケーキ状に両面を焼く。ただそれだけなのだが、食べてみるとさっぱりした甘さで今でも十分に通じそうな美味しさだ。普通に女性受けしそうなスイーツなのだが、名前が名前なので人に勧めづらいのが難点か。

これがくろんぼ、さっぱりした甘さ

なお、この「くろんぼ」だが、店によっては「エチオピア」という名前で呼んでいたそうな。その由来も『お好み焼きの戦前史』の「メモ:忘れ去られたお好み焼き3 エチオピア」という節に書かれている。そういうのが許される時代だったんだなあと感慨深くなるエピソードだ。

また『お好み焼きの戦前史』で述べられている戦前の定義に基づけば、この日食べた品は焼きそばもキャベツボールもデザートも全て「お好み焼き」である。なかなか受け入れがたい概念なのだが、説得力があって実に興味深い。

ビールも何本か飲んで、お会計は1人3000円ちょっと。氏の人となりや具体的にどんな会話をしたかは敢えて書くのを控えるが、とても濃密で示唆に満ちたお話を伺えた。自分も昨年から本を書きたいなんて言ってるけど、いよいよ本気で取り組みたいなあ。近代食文化研究会さん、ご一緒していただきありがとうございました!

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巨牛荘 石原本店 (東京都墨田区)

巨牛荘の石原本店を訪れたのはいまから8か月も前、昨年7月のことだ。だいぶ時間が経って今さらという気もするが、お蔵出し的にサクサクッと紹介しよう。

巨牛荘 石原本店

六本木や半蔵門にも店舗がある巨牛荘は、1977年(昭和52年)創業の人気焼肉店。石原本店の最寄駅は両国駅や蔵前駅だが、どちらからも徒歩で10分くらい掛かる。

まずはビールで乾杯

この日は4人で予約し、小上がりへと案内された。まずはビールで乾杯。後から次々と客が来たが、予約のないグループは何組も断われていた。人気ぶりが伺える。

巨牛荘 石原本店 メニュー

名物のプルコギやケジャンを始め、メニューには焼肉屋の定番が並んでいる。この日はアラカルトでいろいろ頼んだ。

ケジャン 2700円

こちらは巨牛荘名物のひとつ、ケジャン(2700円)。ワタリガニの韓国風醤油漬けだ。4つ割りにされたカニを加え、断面からチューチュー吸う。クリーミーで味付けは控えめ。良い前菜だ。

納豆ユッケ 1080円

こちらも名物、元祖を謳う納豆ユッケ(1080円)。肉は生食用の馬肉を使用しているとのこと。卵黄・納豆とよく混ぜていただいた。相性バッチリ。蛋白質の三重奏だ。

キムチ盛り合わせ 920円

キムチ盛り合わせ(920円)も外せない。良く漬かっていて箸休めというよりはツマミとして美味しい。

ハラミ(1250円)とタン塩(1400円)

焼肉はハラミ(1250円)とタン塩(1400円)。コンロに網を敷き、イイ感じで焼きあがったところを頬張る。こりゃ美味い。特にハラミが柔らかくて幾らでも食べられそう。処理が上手なんだろうなあ。

プルコギ(一人前・1500円)

そしてメインディッシュのプルコギ(一人前・1500円)だ。最初に3人前、追加で2人前、計5人前をいただいた。鍋はジンギスカンで使うドーム型の鉄鍋だ。

サンチュで巻いていただきます

プルコギは店員さんが焼いてくれる。焼きあがったプルコギはサンチュに乗せ、キムチを添えて巻いて頬張る。柔らかで美味い。甘辛のタレが後を引く。

うどん(1玉・330円)

〆にうどん(1玉・330円)を2玉注文。この焼きうどんが巨牛荘の真の一番人気らしい。焼いてくれた店員さんによると「プルコギよりもうどんが出ます」とのこと。

肉汁とタレで焼きうどん

うどんは鍋の周囲に溜まった肉汁とタレをしみこませながら、じっくり焼いてくれる。やがて出来上がった焼きうどん。熱々でゴマの風味が香ばしい。コシの無いモチモチ麺が実にうまい。この日はやらなかったがケジャンのタレやキムチを加えても美味しいそうだ。

コシの無いモチモチ麺

ジンギスカン風の焼肉の仕上げに焼きうどんを作るのは全国にある。例えば秋田県小坂町のホルモン幸楽や、京都府舞鶴市の八島丹山。先日紹介したホルモン千葉もそう。焼肉のこういう締め方は、肉の旨味を余すところなく味わえるのが嬉しい。

2時間ほどの滞在でお会計は一人6000円ちょっと。あー、美味しかった。ちなみに2軒目には私の案内で、すぐ近所にあるペーパームーンへと梯子して、ハワイ風焼きそばなどをいただいた。こちらも好評で満足満足。

巨牛荘 石原本店

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亀戸やきそば (東京都江東区)

亀戸に新しい焼きそば専門店が誕生した。その名も亀戸やきそば。3/12にオープンして、その3日後くらいに知り合いから情報が寄せられた。亀戸の辺りは意外と焼きそば専門店が無いエリアなので興味津々。早速その週末に行ってみた。

亀戸駅東口 亀戸やきそば

場所はJR亀戸駅の東口を出て、そのまま道沿いに東へ150mくらい歩いた右側だ。看板の亀のキャラクターが愛らしい。外に券売機があるのだが、たまたま故障しているタイミングで、店内で直接注文してくださいとのこと。

亀戸やきそば メニュー

店内は淡いピンクを基調とした若干ファンシーな内装だ。奥に長く、客席はカウンターが7席のみで、半分が埋まっていた。厨房は男女で切り盛りしている。注文したのは亀戸やきそば(並・680円)と本日のスープ、甘海老のビスク(100円)。合計金額を直接支払う。

亀戸やきそば 店内の様子

こちらでは生麺を使っている。茹で上げたのを鉄板ではなくフライパンで混ぜ炒めている。やがて「おまたせしましたー」の声。注文から配膳まで5分あまり。生麺を使っている店にしては早い方だと思う。早速いただきます。

まずカラフルな盛り付けが楽しい。やはりSNSでシェアされることを前提にしているんだろうなあ。

亀戸やきそば+本日のスープ

麺は中太の生麺。茹で時間を短めに抑えているのか、ホギ、モチっとした歯応えあるコシはなかなかのインパクト。店頭に「丸山製麺・謹製」という看板が掲げられていたので、そちらに特注しているのだろう。

亀戸やきそば 680円

味付けのソースは予想以上にスパイシー。短冊切りのキャベツもちらほら混じっている。焼きそば自体は生麺とキャベツを使ったオーソドックスとも思えるソース焼きそばだ。しかしこちらではトッピング類がそれを進化させている。

豚焼肉とスクランブルエッグが良い

最も特徴的なのは味の染みた豚焼肉。甘めに味付けされていて、ソースのスパイシーさとのコントラストが面白い。絶妙な火加減のスクランブルエッグも実に良い。

神保町みかさはわざと黄身を崩した目玉焼きで麺と玉子の一体感を作り上げているが、このスクランブルエッグも発想が面白い。調理の様子を見逃したが、あらかじめある程度の量を作ってあるのだろうか。

青海苔・揚げ玉・紅生姜

その他のトッピング、青海苔・揚げ玉・紅生姜も文字通り彩りを添えている。それにしてもカリカリの揚げ玉トッピングはすっかり定番だなあ。以前は、揚げ玉は一緒に炒めるのが当たり前だったのだが隔世の感がある。

ホギ、モチっとした歯応えある麺

全体のボリュームはほどほど。オリジナリティあふれて完成度の高い美味しい焼きそばだった。郡上八幡のまるみつに彩りや構成要素がちょっと似ているのが興味深い。甘海老のビスクもコクがあって良い箸休めになった。

青海苔・揚げ玉・紅生姜

食べている最中に持ち帰りも含めた地元のお客さんが次々やってきて、カウンターは満席に。年配のお客さんも複数いらっしゃっていたのが印象に残った。「ごちそうさまでしたー」と外へ出たら券売機は既に直っていた。

こちらの店主がどういう経歴で、どうしてこの焼きそばに至ったのか気になる。スクランブルエッグやビスクなどから推測するに、西洋料理に携わっておられたのではと思うのだが……。手が空いたタイミングを計って一言ご挨拶をさせていただくつもりだったが、お忙しそうなのでまた再訪の折にでも訊ねてみようっと。

【追記】
後日、再訪。お話を伺ったところ女性がこちらの店主さんで、余所でフレンチのシェフをやっておられる旦那さんが、焼きそばのレシピを考案したそうだ。開業当初に比べて麺のコシはやや抑えられ、モチモチ感が増していた。味付けもややマイルドになり、より完成度が高まっていた。この日も地元のお客さんが次々と訪れていた。

何度食べても美味しい

亀戸やきそば

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ホルモン千葉 東京渋谷店 (東京都渋谷区)

【コラム】支那料理屋のヤキソバ考(後編)』はお読みいただけたでしょうか? あの長文で私と同じく読者も疲れたと思うので、今回は写真点数多目(当社比2.5倍)でいきます!


京都の河原町駅・祇園四条駅近くに店を構える人気店、ホルモン千葉。ご存知の方は限られているだろうが、同グループは先斗町「肉なべ千葉」のすぐ近くで「焼きそば千葉」という焼きそば専門店を一時期出していたことがある。残念ながら私は未訪問のまま閉店してしまったが、前々から本店へも行ってみたかった。

ホルモン千葉 東京渋谷店

そのホルモン千葉が一昨年の7月に東京渋谷店をオープンした。フォーリンデブはっしーさんも超お気に入り。行かなきゃ行かなきゃとずっと宿題のままだったが、先日知り合いを誘ってようやく訪問することができた。

ホルモン千葉 東京渋谷店 入口

店はセンター街をまっすぐ行った左側。席はカウンターのみ。今回は3人で訪れたが2人が理想だろう。4人以上はオススメできない。2時間制で予約は必須と思った方が良い。

ホルモン千葉 コース

今回は「千葉のコース(2800円)」をお願いした。前半にコク塩味で五種、後半に黒ダレ味で四種の部位を楽しんでから、うどんまたはそばで締める。

とりあえず生ビールで乾杯

とりあえず生ビールで乾杯。予約特典として枝豆をサービスしていただけた。写真点数が多いので、駆け足で進みます!

豚ナンコツの煮込み 300円

お通しは豚ナンコツの煮込み(300円)。とろっとろ。塩ベースの煮汁が美味い。

特上タン刺し 1680円

単品で注文した特上タン刺し(1680円)。塩と葱を乗せてレモンを垂らす。美味い。とろける。刺しー。

コク塩 5種盛り

そしてコース開始。まずはコク塩、五種盛り。赤(中落)・マルチョウ(小腸)、アブタン(豚舌)、タンコリ(喉)、ツナギ(首)。

特製の鉄鍋

こちらではジンギスカン鍋のように中央が盛り上がった特製の鉄鍋を使う。通常のジンギスカンと異なるのは鍋が四角く、傾斜が掛かっている点だ。傾斜した一番下の角には穴が開いていて、その先にタレの入った器が置かれている。

店員さんが焼いてくれる

まるでキャンパスに絵筆で色を塗っていくように、店員さんがその鍋に各部位を的確に配置してゆく。最初から最後まで焼いてくれるのだが、パフォーマンスとしての完成度も高い。

傾斜の先の黒ダレが旨味をキャッチ

そして傾斜の先のタレが、肉や野菜から出た油を受け止めてくれるのだ。この滴がタレを育てると思うと、一滴ずつ抽出される様子につい見入ってしまう。まるでドモホルンリンクルのCMのように。

お代わり自由の細モヤシ

あと特筆したいのがモヤシだ。広島お好み焼きでも使われる細モヤシと呼ばれるタイプで、東京では入手しにくい貴重なモヤシなのだ。肉汁やタレの絡み方と歯応えが普通のモヤシとは明らかに違う。お代わり自由なのが嬉しい。

これは赤のコク塩のせ

ホルモンも文句なしでウマイ。コク塩と呼ばれるペーストがめっちゃ合う。「肉ってずるいよなー」と思わずつぶやいてしまった。五種盛りで好きなのは赤とマルチョウかなー。あー、どれも捨てがたい。

黒ダレ 四種盛り

後半の黒ダレ四種盛り。アブシン(心臓)、ホホニク(コメカミ)、ホソ(小腸)、アカセン(第四胃)。傾斜先のタレに各部位を何度も漬けて焼きあげてゆく。

これはアブシン

タレと鉄板を往復させるうちにモヤシにタレが垂れてゆく。それがめっちゃうまい。もちろんホルモンも一切れ一切れ、頬張るたびに唸った。個人的にはアカセンが好きだ。

これがアカセン

「京都と言えば赤玉ワインのチューハイも美味いんですよ」
「へー」
「古いお好み焼屋さんだと、だいたいおいてますね(吉野とかふくいとか)」

そんな話を友達にしたら店員さんが「うちにもありますよ、バクダン」と仰って、出してくださった。

バクダン!

ひゃー、まさかあるとは! これっすわ、これ。「赤チューハイ」って覚えていたけど、「バクダン」って呼び方もあるんだなー。初めて飲んだ同席の2人も気に入ってくれた。嬉しいなー。

そしていよいよフィニッシュだ。〆はそば。うどんも良さそうだが、あえてそばを選択した。蒸し麺を鉄鍋で軽く混ぜ炒めた後、あの我々が育てたタレが中央に注がれる。

〆はやきそばで

ちなみに焼きそば用の蒸し麺は、仕入れた麺を自家蒸しにしているそうだ。あまり知られていないが、蒸し麺は蒸した後に油を塗すなど工程が多く、思っている以上にとても手間が掛かる。こういう点でも手を抜かないのが凄い。

豪快に麺とタレを絡めます

そしてここから豪快な焼きそば造り! 麺に味が滲みるように、捻りを加えながらタレを念入りに絡めつつ、フワッとした仕上がりへ。圧巻のパフォーマンスだ。

〆の焼きそばできあがり

最後に青葱と生卵を2個トッピングして出来上がり。あー、もう参った。自分たちが育ててきたタレだけに愛着が沸いている。不味い訳がない。

モチモチの自家蒸し麺

自家蒸しの蒸し麺はモチモチであのタレとの相性抜群。モヤシやキャベツも美味いし、玉子を絡めたり七味で味変したり、どうしたって美味しい。焼きそば千葉も行ってみたかったなー。

最後にデザートも

最後にデザートと幹事としてお電話代までいただいてしまった。まさに京都ならではのおもてなしだ。ホルモンもそうだが、一つ一つの仕事の丁寧さがとても印象的だ。神は細部に宿る、って言葉を思い出す。

お酒をガブガブお代わりして単品も頼んで、お会計は1人約6000円。今度はうどんで締めたい。さてさて、誰を誘って行こうかな。

ホルモン千葉 東京渋谷店

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【コラム】支那料理屋のヤキソバ考(後編)

お待たせしました、「【コラム】支那料理屋のヤキソバ考(前編)」の続きです。なぜか前回より長くなっちゃいました。 「後編はもっと短いはず」って言ったの、誰ですかね? 前回を未読の方はそちらを先にお読みください。


前編で述べた通り、明治時代から戦前に掛けて東京近郊で創業した支那料理屋は広東料理が主流で、提供していた焼きそばは「硬・柔」を選べるあんかけスタイルだった。しかし中華料理は広東だけではなく、焼きそばもあんかけだけではない。

現在、中華料理店を訪れると、混ぜ炒めたタイプの焼きそばがごく当たり前にメニューに載っている。店のルーツや専門に関係なく、「上海風焼きそば」という名前で提供されていることが多い。後編では、まずその「上海風焼きそば」について検証してみよう。

■上海には存在しない「上海風焼きそば」

日本の中華料理店で「上海」の地名を冠されて提供される焼きそばは、次の3タイプに分けられる。

萬来亭 上海焼きそば

1つは現地・上海で食べられている極太麺の醤油焼きそば、「上海炒麺(上海炒面)」だ。麺はうどん並みに太く、具は豚肉・青菜・干し椎茸と構成要素はごくシンプル。「老抽」という中国のたまり醤油で甘辛く味付けされていて、色は濃い。現地の上海で炒麺といえばこのタイプだが、日本では横浜中華街の萬来亭など限られた店でしか食べることが出来ない。

一番飯店 特製上海焼きそば

2つめは焼いた麺に肉や野菜のうま煮を掛けた、上海風あんかけ焼きそば。しかし、あんかけ=広東風という印象の方が強いのか一般的ではなく、高田馬場・一番飯店など事例は限られている。前編で蘇州菜の「両面黄」を紹介したが、それがルーツというわけでは無いようだ。このタイプについては後述する。

維新號 上海風焼きそば

最後、3つめは細麺と具を混ぜ炒めた「上海風焼きそば」。店によって呼び方は多少異なるが、「上海”風”」と呼ばれることが多いので、本稿ではとりあえずそう呼んでおこう。「上海風焼きそば」は次のような特徴を持つ。もちろん中には例外もあるが、総じて柔らかい麺の炒めそばだ。

・細麺や中細の中華麺を使った炒めそば
・味付けは醤油やオイスターソース、中には塩味もある
・色は薄茶色、現地の「上海炒麺」ほど濃くはない
・具は細切りにした豚肉と野菜、海鮮も使う

前述の通り、現地の「上海炒麺」とは全く異なるのに、日本の中華料理店ではこれが「上海風焼きそば」として定着している。上海には存在しない「上海風焼きそば」。いったい、いつどこで生まれたのだろう?

■上海焼きそばを提供する老舗は全て同じルーツ

実は数年前に「上海風焼きそば」のルーツを探ろうと、手がかりになりそうな店を十数軒食べ歩いた。次の一覧は、「上海風焼きそば」を提供する現存店のうち、なるべく古い店を創業年の順に並べたものだ。なお、横浜中華街の萬来亭は本場スタイルの「上海炒麺」なのでここでは除外してある。

維新號(明32)
揚子江菜館(明39)
漢陽楼(明44)
新世界菜館(昭18)
・源来軒(昭21) (現・源来酒家)

これらの店には共通点がある。いずれも明治から終戦前後に掛けて神田神保町で創業した店で、創業者は全て同郷。上海から直線距離で150km南にある港町、浙江省「寧波(宁波/ニンポー)」の出身者なのだ。

■チャイナタウンだった神田神保町

今でもその名残はあるが、明治から昭和初期に掛けての神田神保町は、中国大陸からの留学生が多く住んでいた。神田の歴史・文化を研究している神田学会が、『神保町・中華街物語』という記事を公開しているので引用しよう。

1898年(明治31)、清朝の光緒帝らは、政府を立て直すためには日本の明治維新を手本にするのがよいと考え、日本や西洋の学問を学ぶために現在の北京大学の前身である京師(ケイシ)大学堂を創立、日本への留学を奨励しました。1902年(明治35)、講道館の創始者である嘉納治五郎は、中国人留学生のために弘文学院を創設。1904年(明治37)には、日本への留学生が一千人に達し、最終的には七千人もの留学生を受け入れたそうです。そして明治の後期には、他学校を含め五万人もの留学生が日本で学んでいたといいます。

また『東京人・2011年11月号(特集・チャイナタウン神田神保町)』によれば、広東出身者が中心だった横浜に比べ、神保町は山東や寧波(ニンポー)からの留学生が多かったらしい。彼ら相手に大陸の郷土料理を出す店も現れた。前述した一覧の店がそれだ。各店を簡単に紹介しておこう。

維新號 銀座本店のメニューより

維新號は現在銀座に本店を構えているが、もともとは神田今川小路で留学生相手の「故郷飯店」として明治32年に創業した。大正中期に日本人相手の「維新號」へと方針転換し、戦後の昭和22年に銀座へ移転したと公式サイトでは紹介されている。中華饅頭が人気となり、都内で多店舗を展開している。

揚子江菜館

揚子江菜館は神保町に現存する中華料理店で最も古い。明治39年に西神田で創業したが、それ以前から「支那そば」という店名で営業をしていたようだ。四代目がインタビューで述べられている通り、創業者は「寧波華僑総会」と「神田中華組合」を創立し、神保町の中華料理店の中心的役割を担った。冷やし中華発祥の店として取り上げられることも多い。

漢陽楼 店内の掲示板より

漢陽楼は明治44年創業。四代目のお話によると最初は神保町交差点付近にあり、その後4~5回移転したらしい。孫文や周恩来に所縁のある店として、日中台三カ国の外交にも一役買っている存在だ。現在のレギュラーメニューには「硬・柔」焼きそばしか載っていないが、コースには上海風焼きそばがあり、単品注文でも快く作っていただけた。

新世界菜館はだいぶ時代が下って昭和18年の創業。当初は専大前交差点のみずほ銀行の位置だったが、終戦後の昭和21年に現在の場所へ移転したという。現社長の傅健興(ふう・けんこう)氏は「寧波華僑総会」の現会長も勤めていて、神保町の華僑の歴史を研究されている。先ほど引用した『神保町・中華街物語』も傅社長が執筆された文章だ。以前、神田学会の集まりで一度聴講した際、氏にご挨拶をさせていただいたことがある。

源来軒は戦後間もない昭和21年の創業。こちらも創業時は専大前交差点のみずほ銀行の位置にあったが、その後、裏路地に移転。源来軒自体は2014年に閉店したが、息子さんが靖国通り沿いで営む源来酒家は今も繁盛店だ。麻婆麺が一番人気だが、源来軒譲りの上海風焼きそばや寧波家庭料理も楽しめる。

以上、どの店も寧波をルーツとする中華料理店だ。神保町周辺には他にも寧波出身者の店があるし、かつてあったことだろう。日本の食文化に与えてきた影響も大きく、日清戦争・日中戦争・国共内戦などの困難の中を、あえて東京・神保町の地で華僑として生きることを選択してきた方々である。日本でもっと注目されても良いのではと思う。

■「上海料理」というジャンルの謎

ところで全く話は逸れるが、「上海料理」はお好きだろうか?

上海料理と言えば上海蟹(醉蟹)や豚の角煮(東坡肉)、小龍包や焼き小籠包(生煎)などが定番だ。魚介類や醤油を使った味付けが特徴とされ、日本では広東料理に次ぐポピュラーな中華料理のジャンルといえよう。しかし実は中国本土へ行くと「上海料理」は日本ほどの人気はない。というか、ほとんど認知されていない。

日本では「広東」「上海」「北京」「四川」を「四大中華料理」と呼ぶのが一般的だ。一方、中華本土では全く異なる「八大菜系」という分類が用いられている。その「八大菜系」に「広東料理(粤菜)」や「四川料理(川菜)」はあるが「上海料理」は含まれておらず、「江蘇料理(蘇菜)」というジャンルの下位分類にすぎない。

1920年代 上海の様子

そもそも上海は、南京条約後に開港され租界を中心に形成された比較的新しい街である。知名度は高いが、たかだか200年程度の歴史しかなく、中国の他の都市に比べると文化的な歴史は浅い。そのため中国の料理界で「上海料理」というジャンルは、ほとんど顧みられることがない。

その「上海料理」というジャンルがなぜ日本では有名なのか。そこで登場するのが、前述した寧波出身者の老舗中華料理店だ。

■「上海料理」「上海風焼きそば」を定着させたのは……

前述した寧波出身者の老舗中華料理店は「上海料理」に分類される店が多い。

新世界菜館は上海蟹を看板料理に掲げ、上海料理店を名乗っている。揚子江菜館も上海式焼きそばや上海小龍包を名物とし、屋号の「揚子江」も上海を想起させる。維新號も銀座新館の紹介文では「上海料理をベースに」にという説明がなされている。また、新宿店でも「上海料理の逸品」を謳っている。

寧波から上海まで直線距離で約150km。上海料理は寧波料理の影響も大きいため、料理に共通要素も多いことは確かだ。しかし距離的に近いとはいえ別の町だし、寧波の方が歴史は断然古い。彼らはなぜ寧波料理ではなく、わざわざ上海料理を標榜したのだろう。

ここからは想像になる。

戦前の東京近郊で支那料理と言えば、広東料理が主流だった。それに対して八大菜系の「浙江料理(浙菜)」に属す寧波料理は、全く異なる料理体系だ。同じ支那料理でも別物だと日本人でもわかるようにしたい。ただ寧波という地名も浙江料理という分類も、日本人にはあまりなじみがない。

1920年代 上海の様子

一方で上海は欧米各国が租界を形成する世界注目のスポットだった。歴史が浅いとはいえ、先進国の最新文化が流入する街でもあり、当時の日本でもネームバリューが高かった。そこで寧波の出身者たちは距離も料理の味も比較的近く、知名度も高い「上海料理」を看板に掲げるようになったのではないだろうか。そして大陸ではマイナーな「上海料理」というジャンルが、日本では彼らによってメジャーな存在となる。

「上海風焼きそば」も同様の過程を経たように思う。寧波出身者の料理店で提供していた焼きそばは、基本的に寧波スタイルの混ぜ炒めそばだ。しかし当時の支那料理屋で焼きそばと言えばあんかけタイプしか認知されていない。同じ炒麺、焼きそばでも別物。それを日本人に伝えるために「上海風焼きそば」と名付け、それが定着した。

以上が、「上海風焼きそば」の発祥に関する私なりの仮説だ。神保町と各店の歴史や上海料理というジャンルの普及ぶりを考えると、ソース焼きそばの成立した大正時代に「上海風焼きそば」が提供されていたことも、大いにありうると思う。

中華ダイニング 高格 寧波炒面

なお、仮説の証明を兼ねて、寧波出身者が営む浙江料理店で「寧波炒麺(寧波風焼きそば)」を注文したことがある。「現地そのままの味で」とわざわざリクエストして出てきた品は、見慣れた「上海風焼きそば」そのものだった。近年来日した寧波人で神保町の影響は受けていないのは確認済み。持論への自信を深めた。

■柔らかい麺ならなんでも上海焼きそば?

ここで2番めのタイプ、上海風あんかけ焼きそばにも触れておこう。

藤九郎 メニュー

日本橋高島屋の裏手にあった中華こんどう軒(大5)は広東料理がベースだが、ランチタイムには「上海炒麺(軟らかい焼きそば)」というメニューを提供していた。こんどう軒は2014年に閉店し、神田小川町に移転して『藤九郎』という屋号に変わった。そちらでいただいた「軟らかい焼きそば」はトロミのついたあんかけ焼きそばだった。味は変わっていないと仰っていたので、こんどう軒時代の「上海炒麺(軟らかい焼きそば)」もあんかけ焼きそばと考えて良さそうだ。

一番飯店(昭27) メニュー

高田馬場・一番飯店(昭27)も、あんかけの「上海焼きそば」がある店のひとつだ。と同時に揚げ麺を使ったあんかけの「広東焼きそば」もメニューに載っている。疑問に思い、とある取材で訪れた際にその違いを店主に尋ねてみた。すると「柔らかい麺は上海焼きそば、硬い揚げ麺は広東焼きそば。修業先の揚子江菜館でそのように教わった」との答え。そう、前述した一覧に含まれる神保町の揚子江菜館(明39)だ。まさかそこへ戻るとは!

揚子江菜館(明39) メニュー

池波正太郎も良く食べたという揚子江菜館(明39)の「上海式肉焼きそば」は、柔らかい麺を使っているが、実は混ぜ炒めてはいない。細切り豚肉とモヤシを炒めて別に焼いた柔かい麺に乗せた例外的なスタイルなのだ。乗せる具にトロミはついていないが、お店の方の話だと揚げ麺も可能で、その場合は具にトロミが付くという。一番飯店で聞いた話からすると、揚子江菜館では後者を「広東風」「広東式」と位置づけているのだろう。

揚子江菜館(明39) 上海式肉焼きそば

つまりあんかけか混ぜ炒めかに関わらず、「柔らかい麺は上海焼きそば」というシンプルな定義が存在し、2番めのタイプはそれに当たるわけだ。恐らく揚子江菜館の長い歴史の中で、シェフの誰かがそのように定義して広まったのではないかと思うのだが、定かではない。

それにしても広東料理とみなしていた軟らかいあんかけ焼きそばまで「上海焼きそば」と呼ぶ場合があるとなると実にややこしい。あくまでもレアケースと思われるので本稿ではここで留めておく。

■中国の炒麺は軟らか麺の混ぜ炒めが標準

次に視点を神保町から東アジアに広げてみよう。中国大陸で軟らかい混ぜ炒めの「炒麺」を食べている地域は、寧波や上海や揚州だけではない。むしろ広東料理とされるあんかけスタイルの「炒麺」こそレアケースで、中国で「炒麺」といえば混ぜ炒めがほとんどなのだ。茹で麺ならまだしも「炒麺」のあんかけはごく限られたで地域でしか食べられていない。

明治28年(1895年)、下関条約によって日本に割譲された台湾。昭和7年(1932年)に関東軍が後ろ盾となって建国された満州。それら日本と深い関わりを持つ地域の「炒麺」も混ぜ炒めだ。

台湾の焼きそばレシピ本

私が台湾で購入した複数のレシピ本では、中細麺を使った醤油味の混ぜ炒め焼きそばが台湾式(台式)として紹介されている。台湾でおなじみの「炒米粉」=「焼きビーフン」も混ぜ炒めである。

中華街 東北人家 メニュー

また満州など中国の東北地域では、うどんのような柔らかく太い麺を使った「炒麺」が多い。写真は横浜中華街にある東北料理店、東北人家のメニューだ。明治時代の中頃から昭和20年の終戦まで、台湾や満州の混ぜ炒めた「炒麺」が、日本に入って来ない方が不思議と言ってよい。

■明治36年・第5回内国勧業博覧会の台湾料理店

実際に台湾料理が日本に流入した一例として、明治36年(1903年)に大阪の天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会を紹介しよう。

第5回内国勧業博覧会 会場地図

内国勧業博覧会は富国強兵を目指す明治政府が、国内の輸出産業の増進を目的に企画したイベントだ。本来は万国博覧会を開催したいが、当時はまだ国力が足りず、内国勧業博覧会が第5回まで開催された。初代通天閣が天王寺に建造されたのはこの時である。

第5回内国勧業博覧会 台湾館
(上記画像は国会図書館サイト「博覧会-近代技術の展示場」より許可を得て転載)

第5回内国勧業博覧会では、明治28年から日本が統治するようになった新領土、台湾のパビリオン「台湾館」が新設され、その裏手には台湾料理店も出店した。

■「日本本土ではまだ見たことのない調理法の麺類」

その台湾料理店、富士見樓支店のチラシの冒頭は、こんな宣伝文句で始まっている。

富士見樓支店 チラシ

抑(そ)も此の臺灣料理と云うは、彼の支那料理とは大に趣を異にせるものにて、日本人の口にも能く適ひ……

当時一般的だった支那料理(恐らく広東料理)に比べ、台湾料理が日本人の味覚に合う点を強調した上で、結び近くではこう述べている。

富士見樓支店 チラシ拡大

其他(そのた)麵類料理一式は、從來内地にては、未だ見ざるところの調理法にして……

「麺類は日本本土ではまだ見たことのない調理法」だという。チラシの裏には具体的なメニューが載っている。

富士見樓支店 麺類 品書き

メニューの筆頭が麺類だ。その部分を拡大して抜き書きしてみよう。

富士見樓支店 麺類 品書き

 ○麵類
焼三絲米粉(シヨーサムシイビイフン) 拾五錢
・三絲米粉(サムシイビイフン) 八錢
焼鳩絲米粉(シヨーアーシイビイフン) 拾五錢
・鳩絲米粉(アーシイビイフン) 拾錢
・粉炒虾米粉(フンツアーヘエビイフン) 拾五錢

見ての通り米粉(ビーフン)が並ぶなかに、「焼きビーフン」も含まれている。奇しくも同年の明治36年に刊行された『横浜繁昌記』に「各色炒麺(やきそば)」という記述があるが、それに匹敵する貴重な記録だ。

中国では麺は小麦粉を原料とした食品全般を指し、米を原料とするビーフンはあまり麺とは呼ばない。しかし当時の日本ではビーフンは麺類と見做されていたようだ。具体的な料理の写真や紹介文はないが、「日本本土ではまだ見たことのない調理法の麺類」というからには、現代の焼きビーフンと同じく、混ぜ炒めと考えて良さそうだ。

現在の焼きビーフン(西荻窪・珍味亭)

第5回内国勧業博覧会は東京ではなく大阪で開催されたイベントだが、会期は153日間と長かった。当時の日本人口が2300万人という状況で、500万人以上が来場したという。もちろん東京から遠路訪れた人も多かったのは間違いない。

中には、これまでの支那料理とは異なる炒め麺に商機を見出し、東京で同様の品を出そうと考える商売人もいたことだろう。明治36年の大阪の焼きビーフンが、その後の浅草周辺でのソース焼きそば誕生に、もしかしたら影響を与えたかも知れない。

■古川ロッパが食べた「炒麺」とは

さて、そろそろ締めだ。冒頭の問いに戻ろう。古川ロッパが食したそれは、どのような「やきそば」だったのか。

古川ロッパは、「うどんのお化け」というエッセイで次のような文章を残している。私のブログで、戦前から焼きうどんがあった証言として何度か紹介したことがある箇所だ。

戦時、代用食として、焼うどんなどというものを、食わされた。然し、焼うどんてものを、僕が、生れて初めて食ったのは、関西で、それは戦争はるか以前のことだった。うどんと言っても、たしかヒモカワだった。挽肉を掛けて、炒麺のように、軽く炒めたものである。これはこれで、お値段から言って、決して悪い食いものではなかった。今でも、焼うどんを食わせる店は、東京にもあるが、僕は、汁の中へ浸っているのより、此の方を愛す。

「戦争はるか以前」に食べた焼きうどんの譬えとして、「炒麺のように、軽く炒めたもの」という表現が出てくる。この文章が書かれたのは戦後だが、文脈を素直にたどると「軽く炒めた炒麺」を想起したのは焼きうどんを食べたその時、「戦争はるか以前」のことだったと読める。

また冒頭で引用した日記のような「やきそば」という呼称ではなく、わざわざ「炒麺」と書いている。ソース焼きそばの類ではなく支那料理の「炒麺」なのは確実だ。しかも特別な存在ではない、ありふれた当たり前の料理のように触れている。決して断定はできないが、古川ロッパが戦争はるか以前に、支那料理屋で混ぜ炒めた「炒麺」を日常的に味わっていた可能性がぐっと高まる。

そして思い出して欲しいのが『古川ロッパ昭和日記』の次の記述だ。

昭和九年七月四日(水曜)
上海亭で一人でやきそばなど食ひ、座へ帰る。

彼の日記に何度も登場する浅草の支那料理屋、上海亭。当時、銀座尾張町(現在の銀座4丁目交差点あたり)に上海亭という支那料理屋があったが、その系列店だろうか。

銀座尾張町 上海亭

上海亭が寧波出身者の店なのかは全く不明だが、「上海」を名乗るからには「やきそば」は混ぜ炒めだったに違いない。古川ロッパが「戦争はるか以前」に日常的に食べていたであろう「軽く炒めた炒麺」とは、この上海亭の焼きそばだったのではないだろうか。確証はないが、ここまでの考察を経てみれば答えは集約されるように思うのだ。

以上、これまでほとんど省みられることのなかった支那料理屋の焼きそばについて、私なりに考察してみた。先行研究も史料も限られているため、断言できないことばかりで隔靴掻痒の感は否めないのだが、この文章が後学の一助になれば幸甚である。

【2018.04.09追記】
浅草の上海亭に関する資料を2つ見つけた。具体的にどんな料理が出されていたかは不明だが紹介しておこう。

ひとつは『浅草底流記』(昭和5)。

浅草底流記(昭和5)

支那料理「五十番」の猛烈な繁昌振りはどうだ。安くてうまい。こゝは何でも分量が多い。二階の座敷が好きだつたが、どうも此頃は扱ひが悪くなつた。ちとお値段は張るが、その點では筋向ひの「上海亭」の方がよろしい。
「來々軒」は昔の繁盛をしのぶよすがもない。流行の犠牲、氣の毒である。

もう一つは『浅草経済学』(昭和8)。

浅草経済学(昭和8)

▽淺草で高級を標榜する上海亭
淺草の支那料理中で、高級を標榜し、自ら第一流を以て任ずる店は、震災直後に出來た上海亭である。殊に開業當時は、名實共に高級で、銀座に於ける上海亭と、殆どそんしょくがない程、高級であり、本式のものであつた。(以下略)

これらの資料によると、上海亭は震災直後に開業した高級・本物志向の支那料理店で、やはり銀座にあった上海亭の系列のようだ。場所は新仲見世通りで同じ支那料理店・五十番の筋向かいに位置という。

そのうちどこかから当時の料理がどんなだったか、分かる資料が発掘されることを期待したい。

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